ピーター・ドイグ
ピーター・ドイグ(Peter Doig)は1959年エジンバラ生まれの画家です。
幼少のころトリニダード・トバゴ共和国とカナダに移り住んだ後、1979年から1990年までロンドンの美術大学である
- ウィンブルドン・カレッジ・オブ・アート
- セントラルマーチンズ・カレッジ・オブ・アート&デザイン
- チェルシーカレッジオブアート&デザイン
で美術を専攻し大学院を修了しました。
ピーター・ドイグがロンドンに移り住む前の1960年代から1970年代にかけては、世界のアート市場の潮流は、モダニズムの一種の極みであったコンセプチュアル・アートでした。
ピーター・ドイグまでの現代アートシーン
コンセプチュアル・アートはマルセル・デュシャンという作家の作品である『泉』におけるレディメイド(既製品)の便器だけが置かれる作品の在り方や、ヴィトゲンシュタインの哲学から強い影響を受けたジョセフ・コスースによる『1つおよび3つの椅子』にみられる、椅子・その椅子の写真・辞書の「椅子」の項目を拡大したもの」の3つを一緒に展示した作品が有名です。
当時はこのように、作家が「概念」から見出した観念から編み出された作品の意義と作品展示の在り方の価値が強く主張され、概念を読み取ることがわかりやすい作品に市場で高い価値づけをしたアートワールドの関係者が中心となって支持する作品が主流であったため、このような概念の元となった科学や歴史の文脈を知らないひとにとっては難解なイメージがアートに付きまといます。この時のアートは他の娯楽と比べて大衆が近寄りがたいような空気感がありました。
同時期にはウォーホルやリキテンシュタインが率いたポップ・アート、当時新しかったビデオ・アートと呼ばれる映像の作品や、前衛的なパフォーマンスアート(それらはしばしばビデオに記録されます)が出現し、一時は「絵画は死んだ」と言われてしまうほど、人の手でキャンパスに描かれた絵画という美術品は歴史的な『巨匠』の作品を除いては下火な時代が続いていました。
そうした状況を打破しようとする試みが、世界各地のアーティストや研究者、評論家、ギャラリストたちの間で沸き起こります。ドイグはその波の一つにうまく乗ることができた画家の一人でした。
ピーター・ドイグの新しい具象
「ニューペインティング(新しい絵画)の旗手」として注目され続けたドイグの大作は、サザビーズでは億単位の価格を記録しています。
1980年代中頃はカナダのモントリオールで映画産業の仕事をしながら夜中と週末に絵を描くというワークスタイルで制作し、アート市場で注目の売れっ子となっていたドイグは、1994年のターナー賞にノミネートされたことにより、現代アートのコレクターに定評ある作家となりました。
ドイグのような絵のジャンルは
- 「ニュー・ペインティング」(新しい絵画)
- 「ニュー・フィギュラティブ・ペインティング」(新しい具象)
と呼ばれています
ドイグ自身はその後2002年に、生まれ育ったトリニダード・トバゴ共和国にもどり、常夏の環境で作風をおおらかな内容に変化させていきました。
ドイグの風景画は、ドイグにとっての「記憶の延長」上に存在する現像した「写真」や映画のワンシーンの画像を切り取った風景と、ドイグ自身が膨らませた想像の組み合わせがイメージの源泉となって描かれています。
ドイグの絵はアートの知識が無くても楽しめる大きな絵で、単なる写実ではない色の合わせや置かれる絵具のタッチの大きさの使い分けに絶妙なバランス感覚が満ちています。ドイグは同じような風景の絵を何枚もたくさん描くことが特徴ですが、それらは1枚1枚少しずつ違っており、コレクターを楽しませてきました。ドイグは油彩の大作だけでなく複製画や、映画に深く関連したポスターも作っており、それらは日本で手に入る機会が少ないものとなっています。
描写ではなく画面全体にあてはめられた色面で作品の世界を見せるドイグの絵にはゴーギャンの影響があると語られることが多くあります。
写実的に描いていないものの、日常生活の中で彼のセンスを引き寄せる発見がある写真や映画にインスパイアされて描かれるドイグの絵は「ニュー・ペインティング」(新しい絵画)と「ニュー・フィギュラティブ・ペインティング」(新しい具象)の中間に位置づけられる作家であると言えます。