1873年のウィーン万博【買取・新着情報】

1873年のウィーン万博
2016.2.3

1873年ウィーン万博

日本の明治政府が初めて正式に参加した万博(万国博覧会)は1873年のウィーン万博でした。

アールヌーヴォーガレラリックたち、印象派のルノワール、ポスト印象派の巨匠ゴッホに影響を与えたジャポニスムという美術史の中で重要な潮流や、いわの美術が日ごろ買取している日本の骨董品や伝統の美術工芸を世界が知ることに大きく影響した1873年のウィーン万博を振り返ります。

日本はそれまでの万博においては1862年ロンドン万博での日本コーナーにおいてイギリス駐日大使であったラザフォード・オールコック(Sir Rutherford Alcock)という人物のコレクション展示が行われた事と、1867年第2回のパリ万博で江戸幕府と薩摩藩・佐賀藩が出展し、日本家屋を再現したセットのなかに芸者が座って煙管で煙草を吸う様子を見せ、来訪者に芸者が酒や茶を供するというサービスを行って人気を博したという記録が残されています。

ウィーン万博 日本パビリオン

1873年のウィーン万博で明治政府には、まるで見世物の様でもあった従来の日本の万博出展とは違う、文明開化以後の「新しい日本」を強くアピールする責務が課せられたという背景がありました。日本のパビリオンでは1300坪の敷地面積に神社と日本庭園を作り、白木の鳥居の奥に神殿を置き、神楽堂や反り橋を配置しました。この日本庭園を整備するために呼び集められた職人たちが働く姿も観客の目をひきます。

当時の産業館(日本の産業を紹介する場所)では浮世絵、塗り物の器、焼き物などを展示し、名古屋城の金シャチホコの再現に鎌倉大仏の模型、高さが4メートルほどある谷中天王寺五重塔(東京)の模型や、直径2メートルの大太鼓、日本の民家の模型、直径4メートルの提灯に滝と童が描かれた大提灯など日本文化のシンボル勢ぞろいで見ごたえのある展示がなされ、話題を集めました。このような大きなものを展示するよう指導したのはオーストリアの公使館員ハインリヒ・バロン・ヴォン・シーボルド(Heinrich (Henry) Baron von Siebold)でした。

会場での即売品となったうちわや日本の骨董品、美術品などは日本全国から集めただけでは足りないことが予想されたことから、古道具屋や骨董商、古美術商、道具の製造者も力を出し合って集められた美術品や骨董品は日本各地の名産品と共に輸出されました。

このような日本パビリオン出展物の選定は、先に述べたオーストリアの公使館員シーボルトと、シーボルトから推薦され幕府に雇われたドイツ人のゴッドフリード・ワグネル博士(Gottfried Wagener)という人物の指導によって行われました。

お雇い外国人ワグネル日本の強みを、いわの美術も買取りを行う匠の技が光る美術工芸品(刀剣、金工品、金蒔絵、螺鈿、塗り物、茶道具、日本各地の焼き物、曲物など)に見出し、主力出展品として選ぶよう指導しました。

平成時代の日本政府・文化庁が提唱している「クールジャパン」にも通じる「日本らしさ」を完璧に押し出すことを目指したのです。

このように、ウィーンとドイツの大使たちによってなされた戦略的なコンサルティングと国際社会における日本をアピールするために徹底されたブランディングがあったことは、ウィーン万博において初参加の日本がパビリオン成功をおさめた大きな理由でした。

当時のウィーン皇帝フランツ・ヨゼフ一世と皇后エリーザベトも来場し、建設中の反り橋の渡り初めを行った事から日本庭園と神社は話題になりました。夫妻がカンナで木を削ったあとの木くずを包んで持ち帰った逸話も残っています。日本パビリオンでは飛ぶように展示品が売れ、即売品のうちわは一週間に数千本売りあげるという成果をあげました。印象派のルノワールの作品のなかにも、うちわを手に持った女性像が描かれた作品があったように西洋の女性の間では日本や中国の扇子、うちわや提灯を手に持つことや部屋に飾ることが流行していました。


ジャポニスム 美術商

ウィーン万博の終了時にはイギリスのアレクサンドル・パーク商社が日本パビリオンの日本庭園の建物、樹木や石の全てを買いあげました。

ウィ―ン万博の日本パビリオンは万博の会期が終了した後も、日本パビリオンはほぼそのままの姿でヨーロッパと日本の貿易の拠点となったのです。



アレクサンドル・パーク商社と取引する契約を結んだ起立工商会社はウィーン万博を契機に日本政府が設立させた企業であり精巧な日本の工芸品を売ることで日本の近代化と外貨獲得に貢献しました。(この時期の美術品としては真葛焼、柴山細工などが隆盛を極めました。)

1878年の第3回パリ万博では、日本の田舎の家屋を再現して好評を得ます。



この万博で起立工商会社の通訳を務めた林忠正は後に美術商としてパリのジャポニスムの立役者として活躍し、のちにアールヌーヴォーを確立した美術商サミュエル・ビングが活躍する下地を醸成する役目を果たしました。このように万博から紹介された日本文化がジャポニスムという美術史的潮流に反映され、グスタフ・クリムトの絵の画中に描かれる文様や金箔使いのような形で自然に西洋美術に溶け込みました。

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