須田国太郎の作品買取ます
須田国太郎は西洋画と日本画を融合させたような重厚な作風で知られ、日本独自の油彩画を試みようと努力を重ねた画家でした。
京都帝国大学哲学科で美術史を学びながら絵を描いており、それらは独学で磨き上げたものでした。
その独自の明暗法によって風景画、静物画を中心に描いており、その重厚さから「黒の画家」と呼ばれ高い評価を得ています。
須田国太郎がこの世を去ってから50年以上が過ぎましたが、その人気はまだまだ衰える事はなく、中古市場でも人気のある画家で、いわの美術でも買取を強化している作家の一人です。
そんな須田国太郎ですが医者の家に生まれていますが、京都帝国大学哲学科を卒業すると関西美術院でデッサンの勉強に励み、その後ヨーロッパへ渡っており、スペインのマドリードを拠点として各地を旅して回り、スペイン美術やヴェネツィア派の研究に明け暮れました。
これは後の須田国太郎の作風に大きな影響を与えており、須田国太郎の作風の基盤にもなっています。
帰国してからは高校教師として勤務するかたわら帝展に出品しましたが落選となり、41歳の時に東京銀座の資生堂画廊で初めて個展を開催し、その実力が認められました。
独立美術京都研究所の開設に伴い、技術面ではなく学術面の指導者として招かれ、後進の指導は京都市立美術大学でも行っており、大学では教授をつとめ、多くの後進を指導してきます。
そして独立美術協会会員として制作活動が本格化しきた頃に独自の重厚な作風を確立させ、日本の洋画界に大きな影響を与えました。
病気で床にふせる事が多くなってからも、寝ながらスケッチが行えるように特注でイーグルを製作し、最後まで画家として制作活動を行っていました。
須田国太郎の作品をお持ちではないですか?「飾る予定がない」「コレクションの処分をしたい」など須田国太郎の作品売却をお考えでしたら、まずはいわの美術までご相談下さい。
須田国太郎の作品買取について
須田国太郎は洋画家ですので油彩画を主に手掛けていますが、本業の洋画制作のかたわら、京都や大阪の能楽堂などにおける能や狂言の上演舞台を対象に多くのデッサンを行っていました。
現在、能や狂言のデッサンの多くは大阪大学に寄贈され、大切に保管されています。
このように須田国太郎の作品にはデッサンも多数残されており、もちろん買取対象のお品物で、場合によっては高価買取となる場合もございます。
また、須田国太郎の作品はお写真のように画廊が発行する共シールが額に貼られている事がございますが、共シールは保証書の役割を持っているため、買取の際はプラスの評価となっております。
よく、お部屋に合わせて額縁を入れ替えてしまう人がいらっしゃいますが、元の額に共シールが貼られている場合、その額も買取査定の判断材料となりますので、処分せずに大切に保管しておく事で買取額アップにつながります。
この他にも作品の入っていた段ボールの箱(共箱)や作者紹介の栞などの付属品もご一緒に保管しておく事をお勧め致します。
「須田国太郎の作品かな?」「須田国太郎の作品と聞いているけれど真贋が分からない」など気になる作品がお手元にございましたら、まずはお気軽にいわの美術までお問合せ下さい。
いわの美術では査定・見積は無料で行っており、査定結果を聞いてお譲り頂かない場合でも費用を請求する事はございませんのでご安心下さい。
須田国太郎の作品売却のお問合せは、お電話、メール、オンライン査定で受け付けており、メールとオンライン査定に関しましては画像を添付する事ができ、口頭で説明するよりも詳細な情報が伝わりますので、合わせてご利用下さい。