仏教画とは【買取・新着情報】

仏教画とは
2015.12.17

仏教画とは


仏教画とは、仏の像や経典の内容など仏教を題材にした絵画で、仏画あるいは、仏教絵画ともいわれます。広義の仏教画には、浄土変相図、来迎図、仏教説話画、絵巻、禅宗僧などの肖像画なども含まれますが、狭義には仏教の中でも、特に密教系の仏(如来)や菩薩、インド古来の神々、中国、日本の神々を描いた絵画や曼荼羅などが含まれます。

仏教画には寺院の壁画や、絹・紙・板に描いた絵画や版画も含み、国や時代などの違いによって多岐にわたります。ここでは、日本の仏教画について説明します。



日本の仏教画 飛鳥時代~奈良時代


日本への仏教伝来は552年、538年、548年と諸説ありますが、百済の聖明王から欽明天皇に仏像が献上され、これをもって日本仏教の始まりとされます。

信仰の厚い聖徳太子が政務についた620年代、仏教はさらに積極的に受け入れられ、仏教の書物に登場する仏様の姿を表した像が祭られるようになりました。

絵画においては、お釈迦様の伝記を描いた絵巻物などが登場しますが、その美術様式は色々な様式が混在しています。


飛鳥~奈良時代は、仏教の布教を目的に、渡来人の技術者が中心となり、高度な絵画表現がもたらされ、大陸文化の影響の大きい仏教絵画が始まりました。

法隆寺金堂釈迦三尊の須弥座絵は北魏式で、また、玉虫厨子扉絵と台座絵には六朝様式が認められます。710年~794年の天平時代は、仏教をもって民を治めようとした時期です。


天平文化は爛熟期を迎えた唐文化の影響が色濃く、美術様式も盛唐様式となりました。 大仏開眼で知られる奈良・東大寺がその中心で、当時の国際都市であった長安へ遣唐使を送り、仏教文化を学び、仏教画も色彩豊かで精緻な傑作を多く創りだしました。

仏陀の事跡を表した釈迦説法図繍帳(奈良国立博物館所蔵)や、釈迦霊鷲山説法図(ボストン美術館所蔵)、釈迦の説話を絵巻とした絵因果経や国宝・吉祥天像もこの時代のものです。


また、説法図と同様に優れた風景画描かれた騎象奏楽図は、盛唐期の優れた写実の精緻な作品でこの時代にすでに遠近表現があったことを表しています。



日本の仏教画 平安時代

平安時代になると貴族文化とともに日本独自の繊細な文化が栄え始めます。空海や最澄によって中国からもたらされた本格的な密教によって、それまでの釈迦中心の顕教の美術から、大日如来を中心とした聖なる宇宙の仕組み、仏教の本質にせまる密教美術が始まりました。


聖なる宇宙をビジュアル化したものが「曼荼羅」で、僧たちは中国から、曼荼羅や様々な仏の姿を描いた密教図像を持ち帰り、それを手本に多用な密教絵画が生れました。はじめは盛唐様式、やがて東寺の両界曼荼羅図のように、西域絵画にみられる濃厚な暈しを多用して異国風な様式が流行しました。

平安時代前期の代表的な仏教画に不動明王ニ童子像(国宝)、密教の教義として大日如来を中心として諸尊を配置し図示した両界曼荼羅図があります。


平安時代後期になると、やまと絵が広まり、仏教画(顕教画)と融合し、優美で柔らかな和様が発達し、釈迦金棺出現図(国宝)や仏涅槃図(金剛峰寺)などの優れた作品が生れました。

これ以後、仏教画には阿弥陀如来を描く来迎図に四季の景色が添えられ、次第に装飾性が強められました。当時の優れた仏教画には九品来迎図(鳳凰堂扉絵)や阿弥陀聖衆来迎図(高野山有志八幡講十八箇院)があり、臨終の時に迎えに来る阿弥陀に人々は心の安らぎを得たのです。

また、阿弥陀信仰などがきっかけとなり、技法や画題などの点でも来迎図など仏教画のバリエーションが広がっていきました。

曼荼羅・・・密教における仏の世界を表現した絵画

来迎図・・・人々が亡くなった時に阿弥陀如来がむかえにくるという浄土信仰の考えを表現した絵画


また、平安時代中期には、空海が中国から持ち帰った唐様式の肖像画の影響から「祖師像」として僧侶の肖像画が発達しました。仏教の各宗派の開祖や高層が祖師像として描かれ、仏教の 普及に重要な役割を果たしました。



日本の仏教画 鎌倉時代~室町時代

鎌倉時代は、貴族社会から武家社会に変化した時代です。この時代には、浄土宗や浄土真宗、時宗が新しく庶民の間に広まり、難しいお経をわかりやすく伝える「二河白道図」が普及しました。

また、極楽の対局には地獄があるという実相を明らかにすることで救済を図るという源信の「往生要集」の影響から、人はあの世に行くと天・人・阿修羅・畜生・飢餓・地獄の六道に別れ、生まれ変わるという世界がビジュアルに描かれた「六道絵」に仏・菩薩・縁覚・声聞の四聖をたした「十界図」が生れました。


さらに、地獄の番人・閻魔大王以下、管理する役人を表した「十王図」や、飢餓道・地獄道を克明に語る絵巻「餓鬼草紙」「地獄草紙」も造られました。


平安時代後期には中国の影響によりリアルな「似絵」と呼ばれる写実表現がみられましたが、鎌倉時代に入ると、禅宗が仏教の中心となり、師の肖像である「頂相」という高僧図が描かれるようになりました。頂相は、禅宗の師から弟子に法を伝えた証として与えた漢画系統の肖像画です。

夢窓国師は多くの弟子を育て、日本の禅を組織的に確立した人物ですが、そのため多くの頂相が現存しています。


足利将軍家の室町時代には、さらに禅宗が盛んになり、水墨による羅漢図、観音図などが盛んに制作されました。画僧・明兆はこの時代を代表する作者で、彩色画、水墨画共に多くの作品があり、聖一国師像(東福寺所蔵・重要文化財)が代表作としてあげられます。



日本の仏教画 近世~近代

近世は、文人画、琳派、円山四条派、浮世絵など様々な絵画が制作され、仏教画も多数制作されますが、この時代の主流とは言い難い存在でした。しかし、中には復古大和絵派の冷泉為恭や「五百羅漢図」を描いた狩野一信のように優れた仏教画を残した画家も存在しました。


それまでは、神と仏が共存してきましたが、明治時代に入ると、神仏判然令により、廃仏棄釈の猛烈な嵐が吹きまくり、多くの仏教美術が失われました。 明治10年には日本美術の崇高な価値を認めたフェノロサが来日し、岡倉天心とともに、正当な日本画をめざす鑑画会が組織され、日本の仏教美術も守られることになりました。

岡倉天心の影響を受けた日本美術院系統の画家によって多くの古い仏画の模写が行われ、また新しい仏画が描かれました。狩野芳崖の悲母観音図(東京芸術大学蔵)はその代表作といえます。

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