日本刀の種類~作刀時期による分類
日本刀は大陸より伝来して以降、数々の戦を経て改良され、時代毎の様相を反映し、さまざまな様式が生まれました。今回は、日本刀の作刀時期による分類について説明します。
日本刀は製作時期により大きく、3つの時期に分類されます。
古刀期(~安土桃山時代文禄末年1596年)
新刀期(安土桃山時代末期慶長元年1596年~江戸時代中期安永末年1781年)
新々刀期(江戸時代後期明和元年1764年~慶応3年1867年廃刀令まで)
【古刀期】
慶長(1596年)以前の日本刀をさし、室町時代中期以前は、太刀が主となっています。約600年間にもおよぶ古刀期は、その生産数・刀工数も非常に多い時代です。古刀期の作風は時代・地域を通じて「山城」「大和」「備前」「相州」「美濃」の五カ伝に分類されています。
上古刀~文禄以前に製作された古刀のうち、さらに時代を遡った奈良時代以前に作られた刀をさします。反りのみられない直刀が主ですが、大刀などには反りが見られるものがあります。
上古刀を日本刀の分類に入れず、古刀以前の刀として別とする場合もあります。
末古刀~室町時代中期・末期のいわゆる戦国時代頃の古刀を末古刀と呼び、区別することがあります。粗製濫造品が多いといわれます。
【新刀期】
慶長・関ヶ原の戦いを境にして、江戸時代の安定期に入り、刀に対する需要にも大きな変化があり、これ以後の刀は古刀に対して新刀と呼ばれました。
新刀と呼ばれるようになった理由としては、江戸時代の刀剣学者・神田白龍子が刀剣鑑定書「新刃銘尽」を発刊し、その中に「慶長以後を新刀という」と記されたことにより、これが流行し定着しました。
慶長新刀~慶長以降に製作された新刀のうち、慶長~元和(1596年~1624年)あたりに製作された刀で、がっしりとした特徴が顕著であることから特にこの名で呼ばれました。
新古境~新刀期であっても、実際は、古刀から新刀への過渡期にまたがって活躍した刀工がおり、正確に分類することは困難であったため、安土桃山時代から江戸時代初期頃の古刀~新刀の過渡期を、新古境と呼び区別することがあります。
【新々刀期】
戦のなくなった江戸時代には、刀の需要が落ち、作刀技術の伝承が失われていきました。この鍛刀技術の衰退を嘆き、鎌倉時代の鍛刀法の復古を唱えた武士・刀剣学者の水心子正秀らが活躍した文化文政時代を中心とし、新刀と区別して新々刀と呼ばれました。
復古刀~江戸では、上記、水心子正秀が刀は鎌倉時代に還るべきであるという復古刀論を提唱し、京都では南海太郎朝尊が同じく復古を提唱し、多くの刀工により鎌倉時代の太刀が研究されました。
水心子正秀の門弟は数十人を超えたとされ、中でも大慶直胤、細川正義らはさらに門人を受け入れ、多くの門弟を輩出しました。
幕末刀~新々刀のうち、特に、幕末に製作された長寸豪壮の刀をさしています。
【明治時代以降の日本刀】
軍刀~明治時代から第二次世界大戦中までに、軍隊で用いるために製作された刀で、日本古来の伝統的な鍛法によるものと、昭和刀と呼ばれる第二次世界大戦中に製作された日本古来の伝統的な鍛法によらず製作されたものとがあります。
現代刀~第二次世界大戦後、昭和29年より文化庁の製作承認を受け、日本古来の伝統的な鍛法により製作された刀を指します。現代刀の定義にも諸説あり、明治9年の廃刀令以降に作刀された刀剣をさす場合もあります。
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