川上澄生の木版画の買取致します
1895年に横浜に生まれ、独学で版画の制作をしていた画家、川上澄生、本名は澄雄。
只今、いわの美術では川上澄生の木版画の買取を積極的に行っております。
幾年か前に人気美術番組の『美の巨人たち』に特集され、彼の作品の価値の再考と人気が高まっている画家です。棟方志功に影響を与えた画家としても有名です。彼の『初夏』という作品で、棟方志功は版画家に転向を決めたともいわれている大変影響力のある作家です。
知名度や人気があることから、中古市場でも高値での取引が期待できます。
川上澄生の作品は素朴なタッチで、異国情緒が漂うものが多くあります。彼の作品の中には上で紹介している写真のような『黒船図』等の南蛮文化を描いているものから、ポップなデザインのトランプ絵など様々です。
南蛮文化を多く描いている川上澄生ですが、それ以前の初期の作品にはどことなく、もの悲しさが漂っていて、それは、彼の青年期に関係があるとされています。川上澄生は、自身が20歳の時に母を亡くし、1か月学校を休む程悲しみに暮れます。その様子を心配した父親は彼に海外へ行くことを勧め、彼はアメリカに渡り鮭の缶詰工場など、仕事を転々とします。この時期の孤独や異国での経験が初期の作品に現れているのでしょう。
また、彼の悲しみを癒した詩の存在も彼の作品全体に大きく影響しています。特に萩原朔太郎の『月に吠える』や室生犀星の『愛の詩集』などです。
その後、悲しみが癒えたのでしょうか、初期の作風とは少し変わっていき、柔和な雰囲気のほのぼのとした作風になっていきます。
時代による川上澄生の作風の変化を探るのも彼の作品の楽しみ方の一つかもしれません。
栃木県の学校で長年教師を勤めながら版画の制作をしていた川上澄生ですが、教師をしながらの制作とは思えない作品群に驚きます。昼は英語を教え、授業後は野球部の顧問もしていたので、少しの時間しか作品制作にかけられませんでした。版画での実績はもちろんですが、野球部は第10回中等学校優勝野球大会(今の夏の甲子園)に出場し初戦を突破するなど、教師の仕事も誠実に務めていたことがわかります。
77歳でこの世を去った後に、長年教鞭を執っていた栃木県の宇都宮高校のグラウンドに川上澄生の記念碑が建てられるなど生徒達に大変愛された画家でした。生前に交流があった長谷川勝三郎の所蔵作品を元に栃木県に「川上澄生美術館」が設立され、今も多くの人たちに愛され続けています。
川上澄生の木版画の買取について
川上澄生の作品には、上に載せている『黒船図』等の南蛮文化を題材にした作品以外にもさまざまありますが、中古市場で特に人気があるのは『黒船図』や南蛮文化を題材にしたものです。
また、『黒船図』の中にも、様々な種類があり、値段にも差があります。
『黒船図』以外ではランプを描いている作品も多く、こちらも中古市場で人気の作品です。もし、お手元に川上澄生の木版画をお持ちでしたら、タイトルや、どのような絵なのか詳しくお伝え頂くか、又は電話での判断が難しい場合にはお写真を撮って頂くことをお願いする可能性がございます。
ご売却をお考えのお品物などございましたら、絵画の買取実績が多くある、いわの美術にお任せ下さい。無料で査定させて頂きます。
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