表千家10代吸江斎の茶道具のお買取り致します!
こちらのお品は以前、いわの美術でお買取りさせていただいた表千家10代吸江斎の棗です。
作者不明ではありますが、吸江斎の書付・花押がございました。
棗全体の装飾はなくその静謐な美しさからは
無為自然を尊ぶ詫び寂びの美意識が表わされているようです。
表本家は茶道流派の中でも有名な家流茶道の本家で、世界的にも注目されています。
弊社では茶道具のお買取を積極的に行っております。
お手元にご売却をお考えのお品物がございましたら、いわの美術にお問い合わせください。
表千家10代吸江斎について
詫茶を確立した千利休を始祖とする千家は、孫の宗旦の子により「表千家」「裏千家」「武者小路千家」の三千家に分かれ今日まで続く茶道の礎を築きました。
流派の名前に表裏と対の言葉を冠している為、対立した流派のように思えますが、この「表千家」「裏千家」「武者小路千家」の名前の由来は、それぞれの象徴である茶室の所在地に関係しており、表千家の茶室「不審庵」が通りの表に、通りの裏に裏千家の茶室である「今日庵」が建てられたことに由来しています。
また、武者小路という道沿いに武者小路千家の茶室「官休庵」があったことから通りの名前をとり、武者小路千家と呼ばれるようになりました。
千家三代の宗旦の三男宗佐が不審庵を継承し千家の直系を継ぐことにより表千家の歴史は始まります。
10代 祥翁宗左(吸江斎) 1818-1860
表千家10代吸江斎は表千家9代了々斎の甥で久田家の子でした。
8歳のときに千家に養子入りし、弱冠9歳にして表千家の家元を継承することとなります。
この際に禅語「一口吸尽西江水」から2字とって「吸江」の齋号と共に、漢字を崩したようなデザインで当時の署名の代わりの記号である「花押」を授けられました。
表千家を継いだ翌年10歳で徳川御三家の一つに数えられる紀州徳川に出仕し、十代藩主 徳川治宝に茶を献じます。一流の文化人として「数奇の殿様」と称されていた治宝は歴代藩主の中でも特に茶の湯に造詣が深く、了々斎から秘訳の皆伝を預けられていたほどでした。
そして、吸江斎は、19歳のときに徳川治宝から預けられていた皆伝を授けられた後は徳川治宝の御庭焼として別邸西浜御殿内の偕楽園で焼かせたことで始まった「偕楽園焼」にも力を入れ、京都の名工を招聘し多くの名品を作らせました。その中でも1844年頃に拝領したとされている「紫交祉」「寿の字水指」という作品が代表的です。
茶道具のお買取りについて
今回ご紹介した棗は、薄茶を入れる漆塗りの器で、その形が植物の棗を乾燥させたものに似ている事から名付けられました。
同じように抹茶を入れる茶器として茶入れがありますが、こちらは濃茶を入れるもので陶器などの焼き物で仕覆という袋に着せられ鑑賞されることから高価な道具として知られています。
ごくシンプルな装飾のない黒の漆塗りが一般的ですが、時代の流れと共に金装飾など豪華な装飾を施されるようになりました。
現在では様々な形の棗が用いられていますが、中でも各流派の宗匠の書付・花押の入った茶道具は特に高額でのお買取りが期待できます。
弊社では棗に限らず茶入、水指、茶杓、釜、茶碗、花入などもお買取り対象です。
お電話・メール・LINEなどの窓口を設けておりますので、
お引越しやご相続などでご不要になられたお品物がありましたら一度弊社にご連絡ください。
お問い合わせいただいた際には、作家名・作品名・大きさ・状態など詳細にお伝えいただけますと、よりスムーズなご案内が可能です。
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