近藤悠三の作品のお買取り致します!
陶磁器染付の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受け、
陶芸界に大きな影響を与えた日本の陶芸家・近藤悠三
染付と金彩を組み合わせ、生涯に渡り新しい表現を模索し続け、
革新的な試みを挑戦していました。
革新的な絵画的表現で海外でも高く評価された近藤悠三の作品を探しています。
現在、近藤悠三のお買取りを強化中ですのでご売却をお考えでしたらぜひ
いわの美術 までご連絡ください。
・ 近藤悠三とは ・
近藤悠三の略歴
近藤悠三は1902年に代々清水寺の寺侍として知られる家系の三男として生を受けました。
1914年12歳で京都市陶磁器試験場附属伝習所入所し、卒業後は助手として勤務していた際に技手として陶磁を研究してた河井寛次郎氏や浜田庄司氏と出会います。
この出会いによって悠三は濱田に師事しロクロなどを学びます。さらに、1921年にイギリスから帰国して奈良県に窯を構えていた富本憲吉の助手となるため試験場を辞職し、富元に師事。
富本の「模様から模様をつくらず」という心構えに感化され近藤の作陶方針は定まることとなります。ザクロ、葡萄、山水、アザミ、松などの題材を自らのスケッチをもとに豪快で大胆な筆致により描き、独自の世界観を築いていきました。
1924年に京都へ戻り寛斎美術院洋画研究所にてデッサンや洋画の勉強をすることで陶芸以外の教養を深め、自らの窯で作陶に励みました。この時期は染付以外にも象嵌などの技法を用いた作品を発表していました。
1928年第9回帝展に出品した「呉須薊文かきとり花瓶」が初入選を果たすと、なんとその後13回連続で入選します。以後文展など多くの作品を発表し1950年には日展審査員を務めました。
また、1955年に日本工芸会に所属し、1956年には『山水染付壺』が第三回日本伝統工芸展で日本伝統工芸会賞を受賞。
1953年には京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)陶磁器科で教鞭を執り、1965年10月には学長に就任しました。後進の指導にあたる傍ら新たな表現技法を求め岐阜県で志野焼の研究し、戦後は染付の制作に専念してゆきます。
近藤の作品に特徴的なつけたてとぼかしの濃淡によりモチーフを絵画的な表現で描き、さらに呉須染付に併用して赤絵や金彩の技法を用いるようになり独特の作風を確立し多くの支持を得ました。
また、国内だけにとどまらず1957年のミラノ・トリエンナーレ展に『染付花瓶』を出品し、銀賞を受賞したことをきっかけに海外でもその名が知られるようになり、その作品群はオークランド美術館やオックスフォード大学に近藤の作品が収められています。
さらに、これまでの活動を高く評価され1970年に紫綬褒章、
1973年には勲三等瑞宝章、京都市文化功労者章を受章し1977年に重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1980年に紺綬褒章受章を受賞され、1985年に83歳で逝去されました。
作品の特徴
素朴で力強ささえ感じる作風が、堂々とした器のフォルムと絶妙に調和し熟練の技術により染付ならではの藍の美しさを表現した作品を多く残しています。
そのモチーフとして近藤が好んで描いていたのは柘榴でした。また、柘榴以外にも梅や葡萄を釉裏紅や赤絵、晩年には金彩など多彩な技術で描いたものもあり、これらも人気があります。
近藤の染付の特徴として大きな点はコバルトを精製していないことです。
そのため、鉄やマンガンを含んでおり窯から出すとそれらが滲んで青黒くなったり赤黒くなったり
その濃淡によりメリハリが効き、迫力や生命力が生まれます。
・ 近藤悠三の作品のお買取りについて ・
人間国宝であり、「染付の悠三」で知られた近藤悠三の作品は人気が高くお買取り価格も高額となる場合が多いです。
中でも人気が高いのは金彩作品です。
装飾性の高い金彩作品は豪奢で、刷毛目が独特の風合いを持ち品格溢れる作品となっています。
また、近藤悠三は多作で知られており、壺、皿、瓢瓶、茶碗、杯など多様な器を生涯にわたって制作しました。
そのモチーフは植物が多く、特に柘榴を得意としていました。富士山や浅間山などの名山を描いた作品などは、他にはない迫力を感じその雄大さに魅了されます。
いわの美術では現在近藤悠三の作品の買取を積極的に行っています。
お引越し、遺品整理、蔵の整理などのタイミングでご処分をお考えでしたら買取実績豊富な いわの美術に是非ご相談ください。
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