熊谷守一の絵画のお買取り致します
今年2017年は熊谷守一の没後40年の年で、東京国立近代美術館をはじめとした日本各地の美術館で「熊谷守一展」が開催されています。こちらは、その熊谷守一が描いた『つつじ』という作品です。明るい色彩や単純化された形の花の絵で、晩年の作品だと思われます。熊谷守一は、晩年にこのような単純化されたかたちの花や虫や鳥など、身近な生物をモチーフとした作品を多く残しました。
只今、いわの美術では、熊谷守一の作品のお買取りに力を入れております。ご売却をお考え中方がいらっしゃいましたら、いわの美術にご連絡ください。
熊谷守一について
熊谷守一は、1880年に現在の栃木県中津川市に生まれます。彼の父は機械紡績を営む事業家であったため、熊谷守一の幼少期は裕福な生活を送っていました。そのため父は自分のように商人として一人前になることを望んでいました。しかし、熊谷守一は芸術家として生きることを決めていたため、父の反対を押し切り、1900年(明治33)に東京美術学校西洋画科に入学します。そこで、黒田清輝や藤島武二らから西洋画の教えを受けました。
同校を卒業して5年後の1909年(明治42)には『蝋燭』という作品で文展の褒状を受けます。暗闇の中で蝋燭の光で照らされた顔が不安げにこちらを向く、若き青年画家をモチーフとした作品です。この作品で将来を期待された熊谷守一でしたが、父の急死という出来事があったことや、また本人の有名になることやお金に対しての無欲さから、5年間作品の発表をしませんでした。父の急死のため一旦帰郷しますが、再び上京しそれ以降は二科展を活躍の場の中心としていきます。
現在、熊谷守一の作品の多くは豊島区立熊谷守一美術館を中心に多くの美術館に所蔵されています。没後30年経った今でも熊谷守一の作品は多くの人々に愛されています。
熊谷守一の作品について
東京美術学校時代の同期には青木繁や和田三造などがいましたが、熊谷守一はその中でも評価が高く同校を主席で卒業した程でした。この頃の熊谷の作品は、花や人物をモチーフとした西洋の印象派を思わせるような洋画が多くありました。父・母・息子・娘などの死を経験したり、アイヌの思想に感銘を受けるなどして、その作風に変化が表れていきます。1940年代、熊谷守一が60歳を過ぎたあたりからその変化はみられるようになっていきました。
熊谷守一の晩年の作品は、抽象とも具象とも言えないモチーフの描写と明るい色彩のものが多く、その独自の画風から『クマガイ様式』と呼ばれていました。晩年は家に籠ってひたすらに身近な生物を眺めて描いていたため、モチーフには猫や庭の草・花、蟻や蝶などが主になっていきます。
熊谷守一のお買取りについて
中古市場で熊谷守一の作品は人気が高く高価買取が期待できます。上でも触れたように、熊谷守一は、初期の作品は写実的な油彩画が多くありますが、晩年になると『クマガイ様式』と呼ばれる独特な造形と色鮮やかな色彩の作品が増えていきます。どちらも弊社でのお買取り対応が可能なお品物になりますが、比較的晩年の作品が需要が高くあります。熊谷守一は油彩画の他に水墨淡彩画や書などもあり、そちらのお買取りの対象となります。
お問い合わせの際は、タイトルやモチーフ、大きさをお伝え頂くか、お品物のお写真を撮ってHPのお問い合わせフォームから送っていただくと、無料で査定致します。
熊谷守一のご売却をお考えの方は、絵画の買取実績の多い、いわの美術にご連絡ください。
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