小川芋銭の掛軸のお買取り致します
只今、いわの美術では小川芋銭の掛軸のお買取りに力を入れております。ご売却をご希望の方は、いわの美術にご連絡ください。
小川芋銭について
自分の描いた作品が芋を買う銭にでもなればということで、「芋銭」と名をつけたと言われています。
小川芋銭は慶応4年(=明治元年、1868)に現在の茨城県牛久市に生まれます。小川芋銭の本名は、小川茂吉で武家の生まれでした。廃藩置県の影響で父の仕事はなくなり、農業を始めます。幼い頃から身体が弱かった小川芋銭は、農家の仕事はあまり手伝うことができませんでした。
明治14年(1881)小川芋銭が13歳の時に本多錦吉郎が設立した画塾で洋画を学び、明治38年頃から本格的な日本画の制作を始めます。大正4年には平福百穂、川端龍子らと「珊瑚会」を結成し、第1回展には「尾花の踊り」「蛭の血」などを出品します。
次々に作品の発表をし、評価を得ていくと、横山大観や斉藤隆三らの推挙で日本美術院の同人となりました。
日本画壇で確固たる地位を築いた後、多くの場所を旅してまわります。北は北海道から南は九州まで3カ月と長い期間滞在しています。
小川芋銭の作品について
小川芋銭の作品で広く知られているのが、河童を題材とした作品です。画家として大成する以前は、新聞記事などの挿絵や漫画を担当していたこともあり、コミカルな表情の人物画やユニークな作品が目立ちます。また、河童など魑魅魍魎の伝記・伝承を好んで描きました。そのことから”河童の芋銭”とも呼ばれています。
コミカルな表情の作品が多くみられますが、写生にもとづいた細かい描きこみは、日本画壇での高い評価を受け、『海島秋来』という作品では県指定文化財に認定されました。
小川芋銭の掛軸のお買取りについて
小川芋銭の掛軸は中古市場で人気が高く高価買取が期待できます。しかし、人気であるが故に偽物や印刷工芸品も多く出回っているようです。また、小川芋銭の落款は多くの種類があるので、専門家による真贋の判断が必要になるお品物です。もし、お手元に小川芋銭の掛軸をお持ちの方は、ご相談からでも結構ですので一度、いわの美術にお問い合わせください。
小川芋銭の作品は、先ほども触れたように河童などの日本の妖怪の伝記・伝承などを題材とした作品を中心に動物・人物を描いたものがあります。どれも弊社でお買取りが可能ですが、掛軸のご売却にはいくつかの注意事項がございます。古い時代の掛軸ですから、シミや破れ、巻きジワなどの状態によって、高価買取が期待できるお品物でも査定評価が下がってしまうことがございます。風通しの良い場所で保管し、時々開いたりなど状態に気を遣うことが必要になります。
いわの美術は、お客様が大切にされてきたお品物を誠意を持って次の方へと繋いでいきますので、ご売却をお考えの方は、いわの美術にお任せください。
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