・ 二世 五姓田芳柳の掛け軸のお買取り致します! ・
幕末に生まれ明治から昭和にかけて近代洋画の先駆者として活躍した
洋画家・二世 五姓田芳柳の掛け軸のお買取りを積極的に致しております。
もし、お手元に二世 五姓田芳柳の作品がございましたら弊社にお譲りいただけませんでしょうか。
買取実績豊富な査定員がお品物を拝見しお買取りさせていただきます。
二世 五姓田芳柳は明治神宮外苑の「聖徳記念絵画館」の壁画の全ての下絵を担当し、制作の中心となっていたことからも当時の洋画界で一目を置かれる存在だったことが伺えます。
今回はそんな二世 五姓田芳柳の作品についてご紹介したいと思います。
・ 二世 五姓田芳柳について ・
1864年に下総国猿島郡沓掛村(現茨城県坂東市沓掛)の大工の六男に生まれました。
絵を描くことが好きだった二世 五姓田芳柳は1878年15歳の頃に上京し、当時まだ珍しかった洋画家であり浮世絵師の初代 五姓田芳柳の次男・五姓田義松の行っていた画塾に入ります。
そして1880年に初代 五姓田芳柳の次女と結婚し、婿養子となりました。
翌年からは英国人画家・チャールズ・ワーグマンから絵の指導を受け、様々な絵画技法を身に着けていきました。また、サンジョバンニやカペレッティらの影響を受け油彩画や遠近法の習得することで後に日本洋画界を牽引する二世 五姓田芳柳の基盤は作られていったようです。
17歳のときに「芳雄」に改名し、1890年前後24歳頃になると初代から号を継承し、二世 五姓田芳柳としての活動を始めました。
日本初の洋画美術団体「明治美術」の創立に参加し、パノラマ画やジオラマの制作に力を入れました。
展覧会への出品はもちろん、歴史画、風景画、仏画、肖像画、など多彩な作品を制作し、水彩画にも挑戦し草分け的存在となります。
1900年にはパリ万博に出品をするなどして褒状を受け、1910年に行われた日英博覧会においてはイギリスへ赴き現地でジオラマを作成。これが高く評価され名誉褒状を授与されました。
1917年からは明治天皇の事績を記録する聖徳記念絵画館の壁画80点の下絵を全て担当するなど歴史画、風俗画の制作を数多く行いました。
そして1931年に最後の個展を開催した後に引退を表明。
初代五姓田芳柳の墓前で芳柳の号を返上し、1943年に80年の生涯を終えました。
西洋画と日本画を融合させた画風で洋画界を牽引してきた二世 五姓田芳柳は 歴史画、風俗画、風景画、仏画、肖像画など実に幅広く展開し数多くの作品を制作しました。
また、日本の伝統絵画にはなかった対象を写実的に描く表現力は高く評価され、明治天皇の肖像を始め政府からの数々の依頼をこなし確固たる地位を築きました。
その評価は現在でも高く、中古市場でも人気のある作家です。
・ 二世 五姓田芳柳のお買取りについて ・
明治・大正・昭和にわたり幅広い画業を展開した二世 五姓田芳柳の作品は高額でのお買取りが期待できます。また、二世 五姓田芳柳だけでなく五姓田一門の作品のお買取りにも力を入れておりますのでご売却をお考えのお品物がございましたら いわの美術までご連絡ください。五姓田一門は掛軸以外にも水彩画、洋画、日本画など様々な技法で制作を行っております。お手持ちの作品の真贋がわからない、現在の価値が知りたい、引っ越しなどの整理中でご処分にお困りなどのお悩みがございましたら弊社のお問い合わせフォームよりお電話・メール・LINEなどからご連絡ください。
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