竹田黙雷のお買取り強化中です!
左のお品物は竹田黙雷の一行書で、『百錬精金無変色』と書かれています。
(優れた金属は何度も何度も鍛え上げられて出来るものであり、再び元の鉱石に戻ることはない という意味)
40年間京都建仁寺の管長を務めあげ、その生涯で約4000人の弟子に教えを説いた人物が今回ご紹介する臨済宗の僧侶・竹田黙雷です。
禅の普及に尽力し親しみやすい人柄で多くの人から慕われていた竹田黙雷の弟子には、政治家や芸術家などの著名人も多く初代内閣総理大臣・伊藤博文もその一人です。
いわの美術では、そんな明治~昭和前期にかけての屈指の名僧・竹田黙雷の掛け軸のお買取りを強化中です!
< 竹田黙雷とは >
竹田黙雷(法諱:宗淵/道号:黙雷/別号:左辺亭)
1854(嘉永7)年に壱岐国(現・長崎県)の平戸藩竹田勝治(克治)の4男に生まれ、7歳で出家。本名の熊雄から宗熊に名を改め、14歳で宗尤と改名しました。
1869(明治2)年15歳で壱岐を離れ、博多祟福寺の蘭陵と戒壇院の俊峰の両和尚に師事し経論を、博多の儒学者・亀井南冥と近藤木軒から漢籍や儒学を学びます。
その後も各地の名僧の下で修学を積み、1880(明治13)年に宗淵に改め、この頃から道号である黙雷を称するようになりました。
京都大徳寺や建仁寺や九州の寺院で要職を務めた後、妙心寺の越渓守謙や猷禅玄達らに師事し玄達の印可を授かった黙雷は、1887(明治20)年に建仁寺派管長・石窓紹球の後嗣となり1892(明治25)年には建仁寺管長となりました。荒廃した高台寺本堂の復興を計った他、建仁寺の山門や諸堂を建立し寺勢の振興に尽力しました。
40年間1930(昭和5)年77歳で遷化するまでその職務を全うしました。
< 代表作 >
『黙雷禅話』『暗号密令』『暗号密令拾遺』
竹田黙雷の掛け軸のお買取りについて
竹田黙雷は臨済宗の僧として著名な人物で、中古市場でも人気があります。
そのため高価買取の期待できるお品物ですが、贋作も多く出回っております。
現在ご売却をお考えで、お品物の真贋をお知りになられたい、また現在の価値をお知りになりたいなどのご要望がございましたら買取実績豊富な いわの美術までお問い合わせください。専門の査定員がお品物をお調べいたします!
竹田黙雷の書画の落款は東山左邊、黙雷です。お手持ちの書画がございましたらぜひ一度ご確認ください。
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