現在、いわの美術は赤木曠児郎のリトグラフのお買取りを強化致しております!
半世紀近くパリの街を描き続けた画家・赤木曠児郎の作品は日本・フランス両国で高い評価を受けています。
赤木曠児郎の作品は美術的価値はもちろん、歴史的価値も認められているため高額でのお買取りが見込めるお品物です。
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赤木曠児郎の略歴
赤木曠児郎は1934年岡山市に生まれます。
岡山大学物理学科を卒業した後、1963年に私費留学生としてフランス・パリに渡りボザール(パリ国立高等美術学校)で絵を学びました。
1989年までファッション記者として就労ビザを取得し活躍する傍ら、画業にも熱心に取り組みました。
1971年にル・サロン水彩画部で金賞を獲得すると、1974年に同サロン絵画部で金賞を獲得し、終身無鑑査となります。
翌年1975年にはツーロン美術館国際展第一席フランス大統領賞など数々の名誉ある賞を獲得した赤木は、日本でもその功績が高く評価され1994年に紺綬褒章、2005年に旭日小綬章を受賞しました。
さらに、2011年にはサロン・ド-トンヌ2011年絵画賞を友の会より受賞した赤木は2014年芸術文化勲章シュバリエと、フランス学士院ベルダゲール絵画賞を相次いで受賞しました。
現在もパリで生活を送り、油彩、水彩、リトグラフなどによってパリの風景を描き続けています。
赤木曠児郎の作風
赤木曠児郎は精密な描き込みと「アカギの赤」で知られている画家です。
ペンと水彩でパリの風景を細密にスケッチし続けることで築かれた赤木独自の作風である「アカギの赤」はベネチアングラスから生まれました。
フランスに渡ってからの数年間は記者業の傍ら絵を描き続けるものの独自の作風を生み出せず苦心していました。
そして、何枚もの風景スケッチを重ねた赤木の風景画は次第に描き込みが細かくなってゆき、この細密な線を絵にすることはできないかと考えます。
ベネチアングラスの赤い線で模様を入れる工程を目にした赤木はこの赤い線を油絵で描く事をひらめき、見事に赤木独特の作風を確立することとなりました。
一つのスケッチを描き上げるのに約1ヶ月かける赤木の作品は、写真家も目を見張るほどの精密な描き込みが特徴的です。
赤木曠児郎のお買取りについて
日仏を結ぶ文化大使的存在でもある赤木曠児郎は新しい作品を生み出そうと現在も腐心しています。
赤木曠児郎は裸婦や静物画などのモチーフも描かれていますが、肉筆油彩風景画は特に高額でのお買取りの期待できるお品物です。
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