奥村土牛の作品のお買取り強化中です!
現在いわの美術では、奥村土牛の版画のお買取りに力を入れています。
土牛は筆を何回も重ね輪郭線の上にも白を重ねて描き上げる柔らかな色彩によって、奥行きや質感を感じさせる作風で自然を描き日本画の最高峰に位置した日本画家です。
ご売却をご検討中でしたら弊社までお問い合わせください。
骨董品・美術品のお買取りはいわの美術にお任せください!
奥村土牛とは
奥村土牛は明治から昭和にかけ真摯に絵に向き合い続け画道を突き進んだ画家です。
戦後現代日本を代表する作品を数多く発表し、晩年は日本画壇の最高峰として活躍しました。土牛の作品の特徴として筆を何重にも重ねることがあげられます。上の「富士」の画像でも白色が重ねられており、白いヴェールを纏ったようなしっとりとした質感は同時に透明感を感じさせる仕上がりになっています。
略歴 :奥村土牛(Okumura Togyuu)
1889年に東京都の京橋に生まれた土牛は本名を義三といい画家を志していた父をもちます。
16歳で梶田半古塾に入門し、後に塾頭となった小林古径に師事しました。
「土牛」という画号は28歳の時に父が丑年生まれの干支にちなみ「土牛 石田を耕す」という唐の詩からつけられたもので、この名のとおり土牛は画業に専念し昭和を代表する日本画家となりました。
土牛はセザンヌの色彩と遠近感の表現に感銘を受け、西洋絵画と日本画の融合と新たな表現を獲得するため研鑽を積みました。
そしてついに1927年に院展で『胡瓜畑』初入選を果たし38歳という遅咲きのデビューを果たします。その後1936年には『鴨』が推奨第一位となるなど40代半ば頃から院展を中心として活躍しますが、実際に絵で生計を立てたのは還暦を越えてからでした。
芸術院会員となった後、1962年に文化勲章を受賞しこれまでの功績が認められた土牛は、1978年日本美術院理事長を務め日本画界の発展に大きく寄与しました。
その後は東京藝大や武蔵野美術大学などで教鞭を執り、後進の指導にも尽力しました。
着実に画家としての名声を高めた土牛は晩年においても師からの教えである写生を重視し、「死ぬまで初心を忘れず拙くとも生きた絵を描きたい」と語っていました。
さらに、「作品から伝わるのは作者の人間性」とも語っていた土牛の作品には生命力が宿り、清らかで落ち着いた美しさを放っています。
高価買取のポイント
奥村土牛の作品のお買取りでは、技法とモチーフが高価買取のポイントとなります。
奥村土牛は色彩を何重にも色彩を重ねた繊細な日本画で知られているため、版画よりも肉筆画の作品の方がお買取りは高額となります。
また、モチーフでは皇居にも飾られているという「富士山」をモチーフにした作品や、代表作『醍醐』などに見られる「植物画」が人気の高いお品物で需要があります。
おわりに
只今、いわの美術では奥村土牛の掛軸のお買取りに力を入れています!
お買取り価格は状態や市場相場などによって変動しており、お品物の御内容や状態によっては弊社でのご対応が難しい場合がございます。
そのため、査定やお持ち込みをご希望のお客様はまずお写真や詳細な情報を、お問い合わせフォーム・メール・LINE・お電話などでお伝えください。
その後は弊社所属の専門の査定員がお客様の大事なお品物を拝見させていただき、直接ご対応させていただきます。
ご家庭でご不要になったお品物がございましたら いわの美術 にお譲りいただけませんでしょうか。
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