広島で生まれた圓鍔勝三は、小学校卒業後彫刻家になる為京都に上京、
そこで出会った彫刻家の石割秀光に弟子入りし彫刻の技術を学んでいきます。
元々手先が器用ではなかった圓鍔勝三は、石割秀光の指導を受けながら京都市立商工専修学校と
関西美術院にて彫刻を学び、人並ならぬ努力と猛勉強の末自身の作風を確立していきます。
学びの地京都で住居を構えるのかと思われましたが、もっと色んな事を学びたいという探究心にかられ京都から東京に上京し日本美術学校でさらに彫刻について勉強しました。
その後、これまでの努力と猛勉強のおかげで1930年に開催された第11回帝展に出品した作品が初入選を果たします。
日本美術学校を卒業後は、同じく同校卒業生の彫刻家澤田政廣と出会い彼に師事し作陶に励みます。
その後様々な展覧会に作品を出品して受賞を重ねた圓鍔勝三は、これまでの功績が認められ
36歳から2年間母校の日本美術学校で教壇に立ち、美術家の卵達に指導しました。
以降、多摩美術学校の教授となり教壇に立ちながら作陶を続け75歳で日本彫刻会理事長に就任し、83歳では文化勲章を受章するなど彫刻界に多大なる功績を残した圓鍔勝三は、2003年に93歳でこの世を去ります。
圓鍔勝三の座右の銘でもある「汗なき人生は堕落なり。愛なき社会は暗黒なり」という言葉通り
一生の中で立ち止まる事なく突っ走り、自分と関わる全ての人に愛情を注ぎながら人生を全うした圓鍔勝三の93年間でした。
圓鍔勝三の作品達
今回圓鍔勝三の作品で紹介させて頂くのは、こちらの画像にございます弥勒菩薩半跏思惟像です。
弥勒菩薩は、お釈迦様の次に仏になる事が許された菩薩で現在は兜率天という天界で修業されていますが
お釈迦様が亡くなられてから約56億7000万年後の未来にはお釈迦様の教えをもとに人々を救う為兜率天から降りて来られると伝えられています。
今回お買取りした圓鍔勝三の作品は、弥勒菩薩が右足の先を左足のふとともの上に乗せ折り曲げた右足の膝あたりに右手の肘を付き、右手の指先は右頬に少し触れる程度、左手は右足首に添えられている半跏思惟という姿です。
この姿は、弥勒菩薩が約56億7000万年後の未来でどのように人々を救おうか考えている様子と言われています。
木彫りで作られたこちらの作品は、光背や弥勒菩薩が付けている装飾品などが細かく彫られていて
手足とお顔は柔らかい曲線で表現され、弥勒菩薩の優しさがにじみ出ています。
今回ご紹介しました木彫りの弥勒菩薩半跏思惟像以外にも、仏像や裸婦像、動物などもブロンズや木彫りで数多く作られました。
圓鍔勝三の買取
いわの美術では、圓鍔勝三の作品の買取を強化しております。
お買取りをご希望の場合は、圓鍔勝三のどのような作品か、大きさはどれくらいか、品物のタイトルは何か、圓鍔勝三の名前が書かれた箱がついているかなど詳しい情報をお教え下さい。
また、品物が圓鍔勝三の作品かわからない、タイトルもわからないという場合は、メールやLINEで
お品物の箱に書かれている文字とお品物全体、お品物に書かれているサイン部分のお写真と、お品物の大きさを頂けましたら査定する事も可能です。
彫刻の買取
今回ご紹介したのは圓鍔勝三の作品ですが、それ以外にも様々なお品物をお買取り致しております。
彫刻のブロンズ作品ですと、石黒光二や清水多嘉示・薮内佐斗司・先崎栄伸・高田博厚・佐藤忠良、
木彫りの作品ですと、平櫛田中・森山朝光・柴崎重行・平野富山・高村光雲・上野玉水などの作品も多数お買取りしております。
また、彫刻には作家名の記載がない古いお品物もございますので、作家名がないからといって諦めずに一度弊社までお問い合わせ下さい。
買取方法について・・
弊社では、お電話・メール・LINEでのお問い合わせを受け付けております。
お電話ですと作家名やお品物の詳細がわかる場合の査定は可能ですが、作家名や品物の詳細がわからない場合や品物が高額になる可能性のある時はメールやLINEにてお品物や作家名部分のお写真を頂いてお調べさせて頂いております。
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また、お品数やお品物の詳細、お住まいにより上記の買取方法がご利用頂けない場合もございますので事前にメールやLINE、お電話などでご相談下さい。