アメデオ・モディリアーニ/Amedeo Clemente Modigliani
1884年〜1920年 イタリア出身。
主にパリを拠点に制作活動。エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。
~生い立ち~
両親はともに、スペイン系ユダヤ人で、モディリアーニの父は、実業家
だったため、裕福な家系の出身であると言われていましたが、
モディリアーニが生まれた年に倒産してしまいます。
事業の失敗などもあり土地を転々としますが、
4人兄弟の末っ子に生まれた彼は、病弱だったこともあり、兄姉と比べて
温和な環境で育ちました。
1894年、高等中学校に入り、古典を学び始めたこの頃、モディリアーニは絵に興味を持ち始め、
その後、絵画教室に入り、まもなくして分派的な美術グループを立ち上げます。
しかし、幼少の頃から病弱だったモディリアーニは肋膜炎を患い、98年には腸チフス、
その後、肋膜炎が悪化して肺結核になるなど、度重なる病により学業を放棄せざるを得なくなりました。
たびたび病を患う息子を見て、母は、転地療養をさせるため、
伯父の支援を受けてイタリア南部、ナポリやカプリ島など転々と滞在します。
22歳になったころ、パリに出たモディリアーニは、
モンマルトルのコランクール街にアトリエを借りて活動を始めます。
そこでモンマルトルの画家たちと出会い、
(この頃、後の20世紀最大の芸術家と呼称されるパブロ・ピカソ達と出会っています)
回顧展などに出品をしますが、自身の作品の評価は低く、ごくごく少数の新聞に他の
作家と共に名前が掲載された程度で、作品自体も大幅に値引かないと売れない状況だったそうです。
25歳になったモディリアーニは、モンパルナスに転居し、コンスタンティン・ブランクーシ(彫刻家)
と出会い、今度は彫刻に没頭しますが、貧困のため材料である石が買えなかったこと、製作中に出る石粉で
自身の肺を痛めることから、再び絵画に専念することになります。
現在では、人気の画家であるモディリアーニですが、
生前は自身の作品が評価されず描いた絵も売れないなどで、貧困に悩みその苦悩から重度のアルコール依存症に陥りました。
1919年、自身の結婚を機に、(正式には誓約状態だったため内縁状態。)
妻ジャンヌの肖像画も多数残されており、順調であるかのように見えましたが、
アルコール依存症などの影響で、体調が深刻な状態となり、結核性髄膜炎でわずか35歳の若さで
亡くなってしまいます。
~作 風~
風景画や、知人の肖像画なども手掛けていましたが、
モディリアーニの絵画作品は、圧倒的に女性を描いたものが多く、生涯にわたって
女性を表現し続けた画家であるとも言えるでしょう。
その表情は物悲しげな表情、目には瞳を描き込まない多面長で首が長く、
フォルムが独特な人物を描いています。
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