木内克とは・・・
1892年に茨城県水戸市で4兄弟の末っ子として生まれた木内克は、テラコッタの作品を多く制作した彫刻家です。
彫刻家になる為に20歳で上京し、明治時代の彫刻家として有名だった2代目海野美盛に彫刻の技術を学びました。
1914年には「東洋のロダン」と言われた昭和の彫刻家朝倉文夫の彫塑塾へ入門し、2年後第10回文展に自身の作品を出品し入選を果たします。
その後日本のみならず海外の技術も学びたいと思った木内克は、29歳でフランスへ渡りグランド・ショミエール芸術学校で当時講師をしていたフランスの彫刻家アントワーヌ・プーデルに指導を受けます。
その後様々な陶芸家や画家達と交流を重ね、陶器、アルカイック期のギリシャ彫刻など様々な作品を研究製作し、最終的にはテラコッタ作品にのめり込む事となります。
43歳で帰国後、3年経った1938年に初となる「木内克作陶展」を開催し、その後数多くの展覧会で受賞を重ね、様々な作品を製作してきましたが、84歳で急性肺炎の為この世を去りました。
木内克の作風
木内克は、彫刻だけにとどまらず絵画や陶芸なども製作していました。
主にテラコッタやブロンズ作品が多く作られていますが、その特徴は丸い曲線です。
人物の顔や猫の顔などを細かく作る事はせず、大胆に作る事で作品に優しさが生まれ、その中には力強ささえも感じ取れます。
また、著書「木内克の言葉」の中では「芸術というものは写生そのものではなく、いろいろな味があったり、匂いがあったりするようなものだとおもう。その人自身がでてこなければいけないものだよ。」と話しております。
この言葉通り、写生だけを見て作るのではなく木内克が感じ取った匂いや想いなども作品に込めて作られました。
木内克の作品の中には、人物以外にネコが多いのも特徴です。
小さい頃から動物が大好きで、その中でもネコは7・8匹飼っていた時期がある事から相当な猫好きだったという事が伺えます。
木内克の作る猫は、顔の部分や手足などが細か作られていないものの、座った時や寝ている時の背中・体の丸みが猫の特徴を正確に捉えていて、見ているだけで可愛らしく和む作品に仕上がっています。
テラコッタとは・・・
木内克が得意とするテラコッタは、釉薬をかけずに焼いた焼物の事を指し、その名前はイタリア語の「土(terra)」「焼いた(cotta)」からきています。
赤褐色が特徴の焼物で、新石器時代から現代まで様々な技法を用いて、彫刻はもちろんの事建築や装飾などにも用いられました。
また強い強度を持ち合わせているのも特徴ですが、この強度を出すには高温で焼かなければなりません。
しかし、あまり高温で焼いてしまうと中の水分が逃げ場を失い膨張して、割れてしまう危険性もあります。
そこで、中を空洞にする事により均一に焼けるだけではなく、空気の逃げ場も確保する事で割れてしまう現象を防ぐ事に成功しました。
皆さんが良く知っている埴輪もこの焼き方で作られています。
しかし石器時代の頃には、窯がなかったので高温で焼く事が出来ず壊れやすい物が多くありました。
その為、粘土で形を整えた作品を一度天日干しして乾かし強度を上げてから、火桶の灰の中で焼き締めるという方法で強度のあるテラコッタを作り上げたのです。
その後、窯焼きという技法が伝わった事でより多くの作品を作る事に成功し、現在に至ります。
木内克の作品買取について
いわの美術では、テラコッタ作品をこの世に広めたと言っても過言ではない木内克の作品をお買取り致します。
その中でも、ネコの作品は評価が高く高額査定になる可能性もございます。
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その際、お電話でお問い合わせ頂くよりもメールやLINEで画像を頂く方がお品物の状態を確認出来て、詳細な査定額が出ますのでオススメしております。
また、壊れそうな共箱があった場合も捨てずに査定に出して頂ければ、査定額にプラスとなります。
また、木内克の師匠で彫金家の海野美盛や、彫刻家の朝倉文夫の作品などもお買取りしております。
それ以外にも、「絵画やお茶道具、中国美術、掛軸、洋食器、日本刀、古銭、大判小判、中国の記念金貨」など様々なお品物をお買取りしております。
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