「ぽち袋」と聞くと真っ先にお正月に渡される「お年玉袋」を思い浮かべる方が多いかと思いますが、
本来は「心付けを入れて手渡す小型の祝儀(しゅうぎ)袋」を意味します。
「ぽち袋」の「ぽち」は関西弁の「ぽちっと」や関東弁の「これっぽっち」=「わずか」「心ばかり」からきているのだとか。かつては、花柳界や芸能界で舞妓さんや芸者さんにチップを渡す際に用いる袋として多用されたそうです。
弊社では戦前~昭和30年頃に作られた「ぽち袋」を中心に買取りさせて頂いています。
どんな「ぽち袋」ならば買取り可能か、こちらでご紹介いたします。
昭和30年頃までのもの
現在の「ぽち袋」は、かわいいキャラクターやイラストがプリントされ、どちらかというと子供向けデザインのものが多いように思われますが、戦前から昭和30年頃までに作られた「ぽち袋」は、日本の伝統柄や昔話、郷土玩具などを描いたものが木版刷りされ、大変味わい深いものが多く見受けられます。
今のように世界各地の情報が瞬時で分かり、物で溢れることのなかった時代、さまざまな工夫を凝らし、暮らしの中に「粋と遊び心」を取り入れていたのだと、当時の日本人の美意識の高さを改めて感じるものばかりです。
小林かいち 作品
京都で生まれ育った木版絵師にて図案家の小林かいち(1896~1968年)の「ぽち袋」は、お品物によって高価買取りも期待できます!
京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)で絵を学んだ小林かいちは、1922年頃から着物の図案家として活動を始め、大正12年頃、天保年間から手刷木版画で封筒、便せん、千代紙などを製作して販売していた京都の老舗文房具屋「さくら井屋」で自身がデザインした木版絵はがきや絵封筒などを販売するようになり、女学生を中心に人気に火が付きました。
ピンクやブルーのグラデーション、赤と黒のはっきした対比色の中に描かれたほっそりやせ細った女性の嘆き姿や十字架や教会、トランプや薔薇など、当時にしては大変モダンなデザインで、アールデコの影響を強く受けながらも、独自の抒情性を組み込み、多くの女学生の心を魅了したそうです。
人気を博した小林かいちですが、戦後その存在は世の中から徐々に忘れさられてしまいました。しかし、1990年代以降、海外コレクターによる日本の絵はがき展が相次いで開催されたことにより、再び小林かいち作品が注目を浴びるようになります。
2008年に遺族が名乗り出たことにより少しずつ経歴も明らかになっていきましたが、それでも、まだ画業の全容は謎のままです。その謎めいた人物像と小林かいち作品が醸し出す「妖しさ」や「刹那さ」が相まって更に小林かいち作品の人気を高めているとも言われています。
他にも…
竹下夢二デザインのもの、「さくら井屋」で販売されていた絵封筒や木版画葉書は買取り対象となる場合がございますので、ご気軽にご相談下さい。
まとめ
大正ロマンの雰囲気漂う「ぽち袋」は時代を超えて今も愛され続けています。
ご年配の方の中には「ぽち袋」集めを趣味にされていらっしゃった方も多く、
お家のお片付けなどで取り纏めた蒐集帳などが出てくることが稀にございます。
「これはどうかな?」とお思いの作品がございましたら、ぜひいわの美術までご連絡下さい!経験豊富な査定員が拝見致します。
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