日本の陶芸界を代表する濱田庄司は、現在の川崎市に1894年誕生します。
東京高等工業学校窯業科に在学中窯業の基礎を陶芸家の板谷波山に学び、卒業後は京都市立陶芸試験場で上級の河井寛次郎と共に釉薬の研究を行い、同年柳宗悦、富本憲吉、バーナード・リーチと交流を深めました。
東京高等工業学校卒業から4年後には、イギリスに帰国するバーナード・リーチに同行してセント・アイヴスという小さな町で日本風の登り窯を作り作陶を開始します。
帰国後は沖縄で壷屋焼を学び、最終的には益子焼の産地である栃木県益子町にて作陶を始めました。
バーナード・リーチと行ったイギリスで、職人達の健康的で素朴な生活文化に感銘を受けた濱田庄司は、帰国後、手轆轤と呼ばれる手動で轆轤を回しながら焼物を作る技法を用いて健康的で素朴な力強い作品を数多く製作します。
また、親交のあった柳宗悦が中心として活動していた民藝運動と呼ばれる「日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動」にも積極的に参加していました。
柳宗悦が亡くなった後には、柳宗悦が創設した日本民芸館の第二館長に就任するなど仲の良さが伺えます。
その後濱田庄司は、61歳で民芸陶器の人間国宝に選ばれ、70歳で紫綬褒章を受章、74歳で文化勲章を受章するという功績を収めました。
濱田庄司は、83歳でこの世を去りますが、亡くなる前の年には自身が日本国内や海外で収集した民芸品を展示する益子参考館を住んでいた敷地内に作るなど亡くなる直前まで積極的に活動されていた事が伺えます。
濱田庄司の作風
濱田庄司は、柿釉、鐵繪(てつえ)、赤繪、白釉、地釉、塩釉など様々な釉薬を用いて幅広いデザインの作品を製作されています。
シンプルかつ重厚感があり、模様を描く際はあまり明るい色は使わず赤や緑、茶などが主に使用されていました。
濱田庄司の作る作品には、益子焼のようなシンプルさに壷屋焼に似て明るい色を使わないという特徴があります。
また、独自に開発した黍文と呼ばれる木と葉のような文様を描いた作品も残されています。
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買取可能な陶芸作家
徳田八十吉・藤井朱明・真葛香山・金城次郎・鯉江良二・斎藤雲楽・酒井田柿右衛門
沈寿官・葉山有樹・三浦竹泉・板谷波山・黒田泰蔵・小川待子・藤井錦彩などなど
その他:古伊万里・古九谷・乾隆年製・大清雍正年製・古染付・栄、清、明時代の焼物などなど