昭和の時代に活躍した洋画家の脇田和は、12人兄妹の次男として1908年東京港区で生まれます。
父親が実業家でしたので幼い頃は何不住なく暮らし、小学校卒業後は青山学院の中等部へ入学しました。
脇田和が入学した青山学院中等部では、図画の教師として教壇に立っていた画家の小代為重から油絵や木炭のデッサンを学んだ事で絵画に興味を示すようになります。
姉夫妻が仕事でドイツのベルリンに行くという話を耳にした脇田和は、自身も姉夫婦に同行したいと申し出て、青山学院を中退し15歳でドイツに渡ります。
ドイツに渡った脇田和は、ベルリンで帝室技芸員として活躍していたマックス・ラーベスに師事し、その後マックス・ラーベスの紹介でミューラー・シェーンフェルト画塾に通う事になりました。
マックス・ラーベスに紹介された画塾を卒業した脇田和は、絵画を本格的に勉強したいと考え、ベルリンにある国立美術学校に入学し人体のデッサンや版画、七宝など様々な絵画の技法を学びます。
国立美術学校を卒業した同年に父親が亡くなった知らせを受けて日本に帰国後10年間程父親の会社を継いで経営を行いながら絵画の製作も続けました。
日本~本格的な活躍
父の亡くなった知らせを受けて急遽日本に帰国した脇田和は、父親の会社を継ぐ事を決意します。
ですが、頭の傍らには絵画の存在が離れなかった為、会社経営を行いながら絵の製作も続けていました。
そんな脇田和の状況を見兼ねた母親から、水彩連盟創設者の一人である春日部たすくを紹介され、さらに絵画に向ける時間を増やしてもらいます。
日本から帰国して10年間会社の経営を行った結果会社が安定してきた事から、絵画の製作に多く時間を使う事が出来るようになりました
24歳の頃には、自身の「風景」という作品を第28回太平洋画会展へ出品し入賞、同年第19回光風会展に「風景」と「静物」を出品し入賞、また第13回帝展では「白い机の静物」という作品が初入選を果たします。
1936年には、昭和期の画家である猪熊弦一郎や昭和期に洋画家として活躍した小磯良平などと共に、美術団体の「新制作派協会」を起ち上げました。
戦争が始まると脇田和は陸軍の報道部で勤務するためフィリピンのマニラで1年間暮らしますが、その間は水彩画の製作にあたります。
翌年日本に帰国するも自身のアトリエを戦火によって失ってしまいますが、それでもめげずに作品制作を続けました。
その後も積極的に作品制作を行い、自身が設立させた「新制作派協会」での展覧会や、ヴェネツィアで行われたヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展覧会、サンパウロビエンナーレ国際展覧会など日本のみならず海外でも活躍されます。
45歳で胸膜炎(きょうまくえん)(肋膜炎:ろくまくえんとも言う)を患い痛みに苦しみながらも絵を描き続け様々な展覧会で賞を受賞していきました。
56歳で東京芸術大学の助教授となりその後6年間教師として教壇に立ち続け、1991年軽井沢に脇田美術館を開館させ、同年勲四等旭日小綬章を受賞します。
90歳で文化功労賞を受賞した脇田和は、後世の育成に励むも97歳で生涯に幕を下ろしました。
脇田和の作風
写実的ではありませんが、何も囚われるものがなく自由で自身の思うままに脇田和は作品を描きます。
主に鳥や子供、花など身近に見れる物が描かれ、また暖かみのある色彩が特徴です。
脇田和の作品は抽象画に近いものがありますが、誰にも真似する事の出来ない唯一無二の表現方法で見る人を魅了させます。
脇田和の作品には、鳥・子供・花などが描かれていますが、その中でも鳥が出てくる事がとても多いです。
その理由は、脇田和が45歳の時胸膜炎(きょうまくえん)を患い苦しんでいた所に、新制作派協会の会員で友人でもある彫刻家・山本常一から一羽の鳥をもらった事がキッカケでした。
絵を描けない程の痛みと戦っていた脇田和が一羽の鳥と生活していく中で、痛みを忘れる程の癒しをもらったそうです。
その為、自身を支えてくれた鳥に対して感謝の意味も込めて作品に多く登場させているのではないでしょうか。
脇田和の作品買取について
弊社いわの美術では、脇田和の作品をお買取りしております。
脇田和は、油彩・水彩・素描・版画など幅広く製作していましたが、中でも油絵で描かれた作品は高価買取が期待出来ます。
また、作品に鑑定書などがついていますと本人の作品という証明になりますのでこちらも高価買取が期待出来ます。
家や事務所、お店に飾られていたり、買った・貰ったが飾っていない脇田和の作品のご売却をお考えでしたらいわの美術までお問い合わせ下さい。
また、お引越しや遺品整理・生前整理・コレクションの整理・店舗の閉店・事務所の移転に伴う整理でご売却お考えのお品物がございましたらお気軽にご相談下さい。
買取可能な絵画の作家
落田洋子・堀文子・東山魁夷・棟方志功・アイズピリ・児玉幸雄・ジャックエンネル
小木曽誠・草間彌生・森内敬子・茅原佳介・東郷青児・高塚省吾・黄幻吾などなど