1916年愛知県瀬戸市に生まれた加藤舜陶は、実家が瀬戸焼の基礎を作り上げた加藤四郎左衛門影正を陶祖にもつ有名な家柄だった事から、県立窯業高校に入学し、卒業後は格調高い作品を数多く作り上げた名工の板谷波山に師事し、さらに陶芸の技術を磨きます。
窯業高校での学びと板谷波山への師事、自身の努力が実り、34歳の頃に行われた第六回の日展に出品した作品が初入選を果たし、以降様々な展覧会へ出品するようになりました。
その後も、日本陶芸展で文部大臣賞や1960年に開かれた第三回新日展に出品した作品が特選・北斗賞を受賞するなど数多くの賞を受賞します。
また、瀬戸陶芸教会に入会し瀬戸焼を世の中に広める活動も行いました。
そして、これまでの功績が評価された加藤舜陶は、71歳で訓四等瑞宝章を受章し、その6年後には愛知県で灰釉の重要無形文化財保持者に認定されるなど功績を残します。
晩年も数多くの作品を制作し、今後も活躍が期待された加藤舜陶でしたが、2005年88歳でこの世を去りました。
灰釉(かいゆう)
加藤舜陶は作陶の際、瀬戸焼の中でも代表的な灰釉(かいゆう)と呼ばれる技法を主に用いていました。
灰釉(かいゆう)とは古代中国が発祥とされ、現在世の中にある全ての釉薬の基本となる釉薬で、東洋の陶磁器では最も重要視される釉薬となります。
草木の灰を主原料とし、燃やす草木の種類によって灰の中の不純物が変わり、それにより様々な色に変化するのです。
灰釉(かいゆう)の主な種類
- 柞灰釉(いすばいゆう):柞(いす)の木を燃やして作った灰が主原料で、石灰分が多く鉄分が少ない釉薬です。色は白に近い淡青で染付などの釉薬として使用されます
- 土灰釉(どばいゆう):薪の材料を切り出した際に余った木材を燃やして作った灰が原料で、様々な木材が使用されているので不純物が多い釉薬です。この釉薬は焼く際の酸素の入り方で色が変わり、酸素を十分に取り入れた酸化焼成では黄褐色、酸素があまりない還元焼成では淡青緑や褐色を帯びた緑色になります。
- 藁釉(わらばいゆう):水田で栽培される稲を収穫した後に出る稲藁を燃やして砕き、水簸(すいひ)と呼ばれる比重の重い部分だけを抽出して作られる釉薬です。藁灰は通常真っ黒なので、土灰と混ぜて乳白色や不透明光沢釉として使用されます。
日本で灰釉(かいゆう)を用いて作品が作られたのは、奈良時代から平安時代にかけてと言われ、愛知県の猿投窯(さなげよう)で作陶が行われていました。
そこで茶碗や皿など数々の作品が制作され、平安京など各地に作品が流通します。
加藤舜陶はこの灰釉を得意とし、「灰釉の舜陶」と称される程灰釉の作品を数多くせいさくされました。
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