香筒は、線香筒とも呼ばれ、湿り気をきらい、直射日光のあたらない暗所が適した線香の保管、またはその携帯に使われます。香筒という言葉自体、あまり聞き馴染みがない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
香筒は、香りをより深く、広く楽しむために編み出され、進化してきた香道具のひとつで、旅先やお墓参りなどの際にもお気に入りの香りで、いつでもどこでも心安らぐひと時を過ごすことができます。
折れやすい線香を保護し・保存するための香筒には、竹材に蓋が付いたシンプルなものから、堆黒、堆朱、彫漆や螺鈿など指物細工が施されたものもあります。
今回ご紹介いたしますこちらの香筒は、線香が10程度収納できるほどの小さなお道具ながら、精巧な細工がほどこされ、豊かな世界を表現しています。
香りの歴史
キリストの誕生を知って、ベツレヘムの馬小屋を訪ねた3人の博士は、幼子イエスに乳香と没薬(もつやく)、黄金を捧げたと伝えられています。乳香も没薬も、香りを放つ植物の樹脂のことで、古くは聖書のエピソードが物語るように、古来、希少な香りは尊い存在の捧げものとして使われました。
日本においても、香は当初、仏に供えるものとして使われていました。法隆寺の玉虫厨子(ずし)には、焼香のために据えられた火舎香炉(かしゃこうろ)や、長い柄のついた柄香炉を手にする僧侶の姿が描かれていて、当時の仏事における香道具の用法を今に伝えています。
また『日本書紀』や『正倉院文書』には、寺院に香や香道具が献じられたことが記されていて、実際、正倉院には異国の文字が刻まれた香木が伝わっており、南方産の香木がシルクロードを経てはるばる日本にもたらされたことをしのばせています。
香道具の発展
日本で香道が確立したのは室町時代のことで、香道に使用する香道具類は、室町、桃山時代以降に作られるようになったと考えられています。しかし、現存する美術品としての香道具の数は非常に少なく、今に伝わるほとんどの品は江戸時代に作られたものと言ってよいかも知れません。
江戸時代になると、香道の発展とともに、香道具に華やかさが加わるのは、男性から女性へと、香道が女性の教養のたしなみとされ、大名調度として、姫たちの婚礼調度の一部に含まれるようになり、それにならって豪商などの商人階級も、というように、香道が次第に公家や武士から町人、さらには一般大衆に広がってきたからに他なりません。
また、香道具は蒔絵漆器として量産されるようになり、市場向けの製品が輸出されるようになります。また、海外に流出することにより、日本の尾張徳川家のコレクションが、マリ―・アントワネット、清朝皇帝、イギリス貴族などのコレクションアイテムに見出されることに繋がりました。
線香について
「お香」というと、最も身近なアイテムとして線香を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
線香の歴史は案外浅く、日本には天正年間(1573-92)に当時の国際都市であった堺に中国からその製法が伝えられたそうです。簡単に使用できることから、宗教儀式を中心に爆発的に流行しましたが、江戸時代に入って鎖国を迎えると、原材料が輸入できないため、国内産の代用品で賄おうとしたところ、同じ形状でも、香りそのものが劣悪であったため、その評価は極端に下がってしまいました。
ひと昔前までは「線香くさい」という言い方で、古い習わしを代表するような扱いを受けることもありました。ところが今日では、最高級の香原料やエッセンシャルオイルをブレンドしたナチュラルな香りの線香が、一本売りでも購入できるようになったり、形状も通常のものより短寸であったり、さらには香りが強くでるよう工夫がされたりと、幅広く親しまれるようになりました。
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