作者について
三浦竹軒(ミウラ チッケン)は1900(明治33)年、現在では毎年夏に『陶器まつり』が開催されることでも知られる京都・五条坂に生まれ、主に京焼・清水焼の名品を数多く輩出した作陶家です。
竹軒の父である初代・三浦竹泉(1853-1915年)は、新しい釉薬の研究を重ね、黄色原料を釉薬に用いて淡黄地に浮き彫りを施す独自の技法を確立させるなど、オリジナリティ溢れる作品でシカゴやパリの万国博覧会を始めとする国内外の主要な展覧会にて称賛を博した名陶工でした。
その父の三男として、竹軒は五条坂の窯元に誕生しましたが、長兄の二代目竹泉が襲名後わずか5年で早世したのをうけ、またその子どもがまだ幼かった為、1921年に三代目竹泉を襲名しています。
その後、1931(昭和6)年に二十歳に成長した四代に家督を譲ったのちに分家、自らは三浦竹軒と改名して制作を続けました。
その後、竹軒は1942(昭和17)年に政府から第一回技術保持者の認定を受けており、さらには1961(昭和36)年に京都・パリ交歓フランス陶芸展において受賞するなど、本家に迫る輝かしい功績を築いています。
また、永樂善五郎や高橋道八などと同じく、京都伝統陶芸家協会に所属し、京焼を代表する作陶家として多くの作品を世に送り出しました。
幼少の頃より、長兄と共に父に師事して陶芸を学んだ竹軒は、赤絵や金襴など初代竹泉の技法を継承した、古格を踏まえた作品づくりだけにおさまらず、仁清、乾山風の精緻な細工を施した茶碗、水差しや香合などの茶道具、花器、菓子器、香炉などの煎茶道具、そのほか動物の置物など多岐にわたる作品を手がけています。
その幅広い作域や作風パターンからも多くの愛好家やコレクターを魅了した優美で色彩豊かな作品群には、竹軒が1990(平成2)年90歳で生涯を全うした後の今もなお、多くの注目が集まります。
『黄交趾雲鶴文茶銚』
黄交趾(きいこうち)は黄色原料を用いた交趾釉を施し、800-900℃の低下度で焼成されたやきもののことをいいます。
交趾は、そもそも現在のベトナム北部トンキン・ハノイ地方の古い呼び名である『コーチン』が日本風になまって交趾という名称で一般に広まりました。
この地には室町末期から江戸初期頃にかけて日本の南海交易船が数多く訪問し、やきものを始めとする様々な物産を持ち帰った歴史があります。
日本に渡来した交趾焼は、茶の湯の席で珍重されたことによって人気に火がつき、写しものとして、主に京焼において樂家や永楽善五郎が制作したのをきっかけに、九谷焼など全国で生産されるようになりました。
また本作品に施されている雲鶴文様とは、文字通り流れる雲のなかを飛ぶ鶴が描かれたもので、平安貴族の衣装や調度品にもよく用いられた有職文様のひとつです。
中国の思想では、雲のなかを高く飛ぶ鶴は、優れた人格の持ち主の象徴であるとされ、その由来からも、格調高い、高貴な柄として捉えられています。
本作品は、中国の宜興窯(ぎこうよう)に発する後手の急須のことを意味する『茶銚』に 父である初代竹泉が苦労の末に確立させた黄色釉を用いて 縁起のよいとされる雲鶴文様をフリーハンドで施した、竹軒ならではの逸品といえます。
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