麻田浩の油彩画・銅版画をお買取りいたします
写真のお品物は、以前いわの美術でお買取りいたしました、麻田浩の肉筆油彩画「巣のある風景」です。
麻田浩は1950年代から90年代にかけ京都とパリで活躍した世界的な画家であり、シュルレアリズムの流れを汲んだ静謐とした画面に深い精神性のうかがえる特徴的な作風で知られ、油彩画と銅版画で数多くの賞を受賞しています。
麻田浩について
麻田浩は1931年に画家一家の次男として京都に生まれます。母は上村松園の弟子であった麻田鶴、父は日本画家として日展で活躍した麻田辮自で、兄もまた日本画家の麻田鷹司という環境に育ち、同志社大学経済学部在学中から洋画を学び始めました。大学では絵画サークル「鞍馬画会」に所属し、また京都在住であった新制作協会の画家・桑田道夫に師事し基礎を学びます。
大学卒業後は大丸百貨店に入社し、1954年に師の勧めで新制作協会に出品すると23歳の若さで入選を果たし、1962年まで勤めと並行して毎年出品を続けました。
この頃の初期作品は、戦後ヨーロッパ美術界を席巻していたアンフォルメルからの影響が強く、重厚なマチエールの油彩を残しています。
1963年、父と兄とともに日本美術家連盟の滞欧団に同行し初めてヨーロッパを訪れ、古典美術などから様々な刺激を受けの作品に反映されていきます。帰国後の1965年頃からアンフォルメルの作風は終焉し、のちのスタイルに続くシュルレアリズム的な半具象のイメージを追求し始めます。
1971年には前年結婚した夫人を伴って二度目の渡欧をし、当初は移住というほどの予定ではなかったもののパリを中心に11年にもわたる滞在となりました。1970年代前半からはシュルレアリズムの傾向を強め、サロンドートンヌ出品などで評価を得ながら、やがて麻田独自のスタイルを確立していきます。
パリ高等美術学校に自由学生として通うほか、フリードランデルの版画研究所で本格的に銅版画制作も始めます。油彩画と並び銅版画も高い評価を得て 1977年にはカンヌ国際版画ビエンナーレでグランプリを獲得し、ドイツやベルギーでも個展を開催し国際的な画家として認知が広まっていきました。
滞欧中は現地での活躍と並行して、1968年から会員となっている新制作展や安井賞展などに毎年欠かさず大作を送り続けますが、精力的な画業の一方で体は病に蝕まれ始め、1982年に帰国し京都に戻ります。
帰京すると旧知の森本岩雄の推薦もあり、京都市立芸術大学の教授に抜擢され、学生の指導と並行しながら旺盛に制作活動を続けます。滞欧時から続く石や水、羽などの自然物をモチーフにした「原風景」や、その後「原都市」と名付けた廃墟や人工的なものに作風が変遷していきます。
帰国から数年の間に父・兄が亡くすと次第に宗教的・精神的なテーマに傾倒していき、1991年には洗礼を受けキリスト教的世界観に着想を得た作品を描くようになります。
深い精神世界を見つめながら麻田は未完作を残して1997年アトリエで自死を遂げました。没後は再評価の機運が高まり、没後10年、20年の節目に大規模な展覧会が開催され、展示機会の少なかった初期作品なども公開の場を得ています。
麻田浩の作品をお買取りいたします。
麻田の作品にみられる静物・風景は、具象表現というよりシュルレアリズム的心象風景であり、精緻な筆致と静謐な画面に麻田の精神世界が写されています。
一つ一つのモチーフやその配された位置の意味するとことは見る者に委ねられ、幻視と深い内省に導かれるでしょう。
20世紀末であった1990年代という時代に宗教的テーマに傾倒し深い思索から霊感を得ていた晩年の麻田は、今回のお品物にも描かれている鳥をたびたび登場させます。キリスト教的世界観における鳥は、自由に飛翔する姿を超現実的なものの象徴とし、これに麻田は私的な想念を重ねていたのかもしれません。
ご実家や蔵の整理、お片付けで、生前コレクションされたいた絵画や美術品の中に、麻田浩の作品はございませんでしょうか。
手放されるご予定の油彩画・銅版画がありましたら、ぜひ、いわの美術へお問合せくださいませ。次に大切にして下さる方への橋渡しをお手伝いしたいと考えております。
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