萩谷巌の油彩画作品をお買取りいたします。
写真のお品物は以前いわの美術でお買取りいたしました、萩谷巌の肉筆油彩画「ばら」です。薔薇を得意とし薔薇の画家とも呼ばれた萩谷の見事な筆致と、豊かな色彩感覚が伺える逸品といえます。日動画廊での個展で販売されたお品物で、キャンバス裏側に記載があることで、高評価でのお買取りとなりました。
萩谷巌について
萩谷巌(はぎのや いわお)はフランスで絵画を学び、花の静物画と風景画で知られる画家です。柔らかな色彩の裏に隠された画家の姿は、強い意志に基づいた行動力で88年の絵画人生を送った力強いものでした。
萩谷巌は1891年に福岡県で生まれ、幼少の頃から絵を好み画家を志します。1908年に父の希望で師範学校に進学するものの画家への思いが捨てきれず、夏休みを機に家出し静岡の大叔父宅に身を寄せました。
そこで額縁製造の磯谷商店店主長男の長尾一平と出会い、磯谷商店で働きながら画家になった人や出入りしている画家の話などを聞いた萩谷巌は、住み込みの書生として働けるよう根回ししてもらいます。
翌1月には、何も言わずに大叔父宅を家出する形で上京を果たしました。
磯谷商店での仕事の傍ら、赤坂にあった白馬会葵橋洋画研究所の夜学部で絵を学ぶことが許されると、石膏デッサンから念願の絵の勉強を開始し、同級生の岸田劉生と交友を持つなど大いに刺激を受けます。
実践的な画業の下積みのため劇団の背景制作の手伝いを始めると、1910年秋には白馬会中心の展覧会で入選するまでに成長します。背景制作が軌道に乗ると磯谷商店を辞め、帯同して釜山へ渡航するものの、明治天皇崩御を受け解散するなど波乱の中でも同地の名士の肖像画で急場をしのぎ、帰国後に帰郷し数年を過ごすと、地元の風景を描いた作品で光風会に2度入選します。
渡仏と画家としての開花
1921年3月にのちの大原美術館となる大原孫三郎蒐集品による現代フランス名画展でシャルル・ゲランの作品に魅了され、フランス留学の際はゲランに師事しようと決意します。画塾の師であった和田三造や地元の名士達、実業家達により渡欧後援会が設けられ留学費用が整うと、翌年11月に初の渡仏を叶えます。
パリでは藤田嗣治やランボーが暮らしたカンパーニュ・プルミエール街にアトリエを借り、1920年代に隆盛を極めたモンパルナスにある住居兼アトリエの芸術家コミューンとも程近い場所でした。また、アトリエの近かったキスリングやドランとも交流を重ね才能に磨きをかけます。
1923年から1年半シャルル・ゲランの教室へ通い厳しく指導を受け、1924年にはサロン・ドートンヌに入選する快挙を果たし華々しいキャリアを積み始めます。
1925年に日本でサロン・ドートンヌ入選を記念する個展が開かれ、同年から翌年にかけてアンデパンダン展とサロン・ナショナル・デ・ボザール、再びサロン・ドートンヌに続けざまに計8点入選し、サロン・ドートンヌ会員に推挙されるなど画家として一気に羽ばたきます。
この頃から日本橋三越などの百貨店でに大規模な個展を開催しはじめ、1927年に凱旋帰国するものの1年足らずで再度渡仏の途につき1934年まで滞在し、藤田嗣治と並んで在仏日本人画家として活躍を続けます。
1945年5月に戦禍に見舞われ制作中断を余儀なくされると、疎開先で個展を開催し、1952年に3度目の渡仏とモロッコ・アルジェリアを写生旅行し再び製作に邁進します。団体に所属せず個展で作品を発表しながら、1965年にはアラスカとカナダと4度目のパリへ赴き、1971年に80歳で5度目のパリ滞在をし、生涯をかけて絵画制作を続け米寿の記念展を終えた後、天寿を全うされました。
萩谷巌の静物画と油彩画をお買取りいたします!
萩谷巌は多数の作品を残し、バリエーションも多い中で、花をモチーフとした静物画は安定して人気が高い傾向にあり、他の静物画や風景画は希少性から高値でのお取引が見られます。
いわの美術では多くの絵画のお買取り実績がございます。査定のお申し込みはお電話のほか、お問合せフォームとラインでも承っており、いずれも無料となります。お買取りの際は、画廊による保証書や額装の有無、絵の保存状態などが重要となってまいりますので、メールやLINEにて画像を添付していただくと査定の精度がより高くなります。お手元にご売却をお考えの萩谷巌の作品がございましたら、ぜひ、いわの美術へご連絡くださいませ。
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