写真のお品物は、以前いわの美術でお買取りいたしました、入江一子の油彩画作品です。
シルクロード沿い諸国を旅し、エキゾチックな人物・風景画を独特の美しい色彩感覚で鮮やかに描き出す画家・入江一子は、100歳を超えてなお現役の稀有な芸術家と言えます。
入江一子は1916年に毛利藩士の家系である裕福な家庭に生まれました。
父は貿易商で成功し、出生から多感な少女時代を当時日本の統治下にあった韓国の大邱で過ごしますが、6歳の時に父が早世してしまいます。
資産家であったため生活に困ることはなく、母の芸術的天文の豊かさも影響し幼少期から絵を描くことを好み、6歳の頃から毎日一枚仕上げることを日課としていたと伝えられています。
小学校6年で描いた静物画が昭和の大典で昭和天皇に奉納される名誉となり早くから才能を示し、大邱高等女学校在学中の1933年に朝鮮美術展で2点が入選すると、フランス総領事の買上げとなりパリ留学を勧められるものの、社会情勢を鑑み実現しませんでした。
女学校卒業後の17歳の時、周囲の反対を押し切り女子美術学校へ進学するため単身日本へ渡ります。
大陸と日本の風景の違いに新鮮な驚きを覚え、休日は伊豆半島を写生する旅行に出るなど持ち前の行動力を発揮し続けながら画業の基礎を築きます。
卒業後は丸善本店の図案部に就職し、仕事をしながら制作を続け、1941年には日本の影響下にあった満州のハルビンやチチハルで個展を開催しました。
1945年には東京での空襲を避けて大邱に戻り、大邱女子商業学校で教職に就くものの、敗戦の混乱の中で同年9月に帰国し、親類を頼って山口県に一時居住します。
その後、時代が安定するとともに1947年から林武に師事し、生涯にわたる師と仰ぎ教えを大切にしています。
同年女流美術家協会に参画し、1949年からは東京都大田区大森の中学校にて美術教師となり、50歳代でシルクロードの旅に出るまで教職を続けながら制作する生活が始まります。
1953年には独立美術協会展で独立賞を受賞し、1957年に独立美術協会会員となり、この頃の作風は後年から現在まで知られる鮮やかな色彩ではなく、深く暗い色味が特徴となっています。
生涯にわたる一大テーマとなるシルクロードの取材旅行は1969年に始まり、最初の行き先には東の起点となる中国新疆ウイグル自治区を選び、次に西の終着点であるトルコのイスタンブールを1973年に訪れます。
翌年もアフガニスタンへ赴きますが、1975年は師の林武と母が相次いで死去する悲しい節目が訪れました。
師と母親の死を乗り越え1976年にウズベキスタンへ、1977年は一時シルクロードを離れスペインに赴いたのち、1978年に日中友好美術家訪問団の一員として北京と雲崗石窟を訪れます。
これを契機に翌年敦煌の莫高窟へ赴き、写真はおろか外国人には模写も禁止されているという窟内を懐中電灯で照らしながら取材し、特に敦煌320窟の飛天の部分の美しさに感激を覚え、熱心に観察するなか特別に許可されたスケッチを元に代表作の一つである「敦煌飛天」が制作されました。
1980年にトルコのカッパドキア、トルファン、ウルムチの取材に始まり、1982年にはカシュガルとパミール高原、1986年にホータン、クチャ、アスクとシルクロードの天山南路を辿ります。
その他にも北アフリカから東南アジアまで様々な国と地域を訪れ、現地の風景と太陽と自然の色、そしてその地に暮らす民族の人々を愛し、好奇心と敬愛をもって吸収し続け、最後の取材旅行となった2000年のモンゴル探訪を終えたときは既に84歳となっていました。
90歳のときに腰椎圧迫骨折を経験するも気力のリハビリで歩けるまでに回復し、93歳となった2009年にニューヨークで個展を開催し、レセプションでのスピーチも自らこなします。
周囲の温かい支えの中、現在は100歳を超えてなお自宅アトリエで大作の制作を続け、鮮烈なシルクロードの風景を自在な色彩で仕上げています。
40年にわたり取材してきたシルクロード諸国のなかには、現在では紛争状態となり、破壊されてしまった遺跡や寺院も数多くあります。
入江一子は失われた風景だけでなく、そこに暮らす人々の苦境に心を痛めながら、在りし日の美しさを描き残すことに使命を感じて、「体力と気力の続く限りがんばって描く」と語り、今日も絵を描き続けています。
写真の作品は、入江一子がシルクロードを実際に旅したなかでも特に難しい取材となった四姑娘山麓の花畑で見た青いケシの花が描かれています。
53歳でシルクロード取材を始めた入江一子は、標高4000メートル級の高山地帯である中国四川省西北部、チベット自治州に位置する四姑娘山に登った当時76歳でした。
青いケシを見て絵に描くため成都から山奥へ入り本格的な登山に及んだ入江一子の行動力は、非常に稀有なものと言えるでしょう。
ヒマラヤンブルーとも呼ばれる美しい青色は、標高3000~5000mの高地で暑気を嫌う性質で、且つごく短期間しか咲かない幻の花とも呼ばれるものです。
悪路と天候不順と高山病に見舞われながら、乗馬とテント泊を続けて何とか到達した標高4300m地点でついに出会ったこの青い花の感動を、100歳を超えてから制作した200号の大作にも描いています。
入江一子の代表作となっているシルクロード関連作品は非常に大きなサイズの大作が多く、一般の絵画市場で見かけることは稀ですが、写真のお品物のように美しい色彩感覚の生きた花の静物画作品は、中古市場でも盛んにお取引がみられます。
ご自宅やご実家のお片付け、蔵や倉庫の整理などで、ご売却をお考えの入江一子の油彩画作品がありましたら、ぜひ、いわの美術へご連絡くださいませ。
いわの美術では絵画をはじめとした美術品・骨董品のお買取りに強く、これまで多数のお買取り実績がございます。専門の査定員が拝見し、市場を鑑みた最高値をご提案できるよう尽力しております。
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