満谷国四郎の作品をお買取りいたします。
写真の肉筆油彩画は、いわの美術でお買取りした満谷国四郎の『風景』です。
満谷国四郎は明治から昭和初期の日露戦争、日清戦争、満州事変などの動乱の時代に、ヨーロッパや中国大陸への訪問を繰り返し、情緒に富んだ美しい画境を極めた洋画家です。
満谷国四郎 |
みつたに くにしろう |
1874-1936 (明治7年~昭和11年) 享年61年 |
洋画家 |
代表作 |
『戦の話』1906年 初期の写実的な作品 |
『緋毛氈』1932年 晩年の象徴主義的な作品 |
満谷国四郎は二度目の訪欧となった1911年のパリ勉学を節目に作風が著しく変化した作家でもあります。
写実的な時代
岡山県で生まれた満谷国四郎は、幼い頃から師に恵まれた環境で成長します。
後に上京し、1898年に発表した「林大尉の死」は明治天皇の目に留まり宮内省の買上げとなり一躍有名になりました。
そして1900年から1901年にかけてアメリカ経由でフランスへ渡り、ジャン=ポール・ローランスに師事したそうです。
翌1902年に帰国後、次々と作品を発表し、34歳の若さで文展審査員となり巨匠としての地位を築きました。
洋画にはあまり見られなかった戦争を題材にした作品が多く、当時の富国強兵の精神とは異なり、戦争への疑問を投げ掛ける社会風刺的な要素が見られます。
この頃の作品は褐色系の暗めの色を好み、説明的な描写が人々の想像を掻き立て、未だに人気は衰えていません。
象徴主義的な時代
満谷国四郎はパリで初歩からデッサンに取り組む為に、1911年に再び渡欧しました。
1912年(大正元年)の帰国後は後期印象派の影響を受け、明るい色合いと形が簡略化され、ぼかしが入った画風となっていきます。
西洋画を極めた満谷国四郎は更に1923年(大正12年)頃から中国大陸への旅行を4回繰り返し、東洋的な要素が加わった独特の画風へと成熟していきました。
色彩感が美しく、詩的な情景は満谷国四郎を不動の大家へと押し上げ、この頃の作品も高い人気を保ち続けています。
お買取りの満谷国四郎『風景』
二度目のパリ訪問から帰国した後の1914年の作品となります。
かすれたようなぼかしが入り、清涼で高潔な空気感を感じさせる作品です。
お買取りした油彩画は鑑定書付きであったので、高額お買取りさせていただきました。
お手持ちの絵画に鑑定書や保証書がある場合は買取評価が高くなるので、是非作品と一緒にご提示下さい。
満谷国四郎は油彩画の他に水彩画、掛軸も作成しております。
いわの美術では、絵画の知識と買取経験豊富な専門のスタッフがおり、作品の価値に沿った適正なる買取評価を行っております。
お買取価格の査定はWebで写真を送付して頂くことで簡単にご利用頂けますので、お気軽にご相談下さいませ。