畦地梅太郎 木版画 『焼岳』山を歩きそこで出会った感動を絵にしたという、山の版画家 畦地梅太郎による木版画『焼岳』(やけだけ)です。 焼岳は長野県と岐阜県にまたがる北アルプス唯一の活火山であり、今も煙を上げている美しい山として知られています。 こちらの作品は大胆にシンプル化した表現で、奇抜ながら親しみやすさと温かみのある畦地梅太郎らしさ溢れる作品です。 |
畦地梅太郎は1902年~1999年という激動の20世紀のほぼ全てを生きた木版画の巨匠です。
出身は愛媛県で16歳の時に故郷を離れ、船乗りなど様々な職業をこなしながらも油彩画に憧れ日本美術学院の通信教育を受講します。
受講仲間と七星会を結成しグループ展も実施しましたが、関東大震災の影響で帰郷しなければいけませんでした。
1925年に再び上京した時は、偶然再会した七星会の仲間からの紹介で内閣印刷局に勤務します。
仕事の空き時間に鉛の板を用いて版画を試み、その作品を見た仲間から版画家の平塚運一を紹介され、油彩画をやりたい畦地梅太郎でしたが版画の道へ進むことを周囲から強く勧められました。
平塚運一の仕事場に通いつめ、こだわりの強い平塚運一の摺りの手伝いをするほどの技術を習得し、畦地梅太郎の作風である輪郭の太い線はこの時に影響を受けたと考えられます。
1927年の日本創作版画協会展において鉛版画で入選、その展示会場で知り合った版画家 前川千帆の手伝いをする形で木版画の技術を磨き、1929年頃から木版画ひとすじとなりました。
同時に版画家 恩地孝四郎の元にも通っており、こちらでは色彩に影響を受けたようです。
初期は都市風景などをモチーフにしていましたが、1937年に初めて見た浅間山に衝撃を受け、以来 自ら山に登り体感して作品にするという、山は生涯のテーマとなりました。
素晴らしい作品を制作していた一方で、この時代に版画で生計を立てるのは難しく師匠たちでさえ兼業し、前川千帆は漫画、恩地孝四郎は本の装幀で食べています。
印刷局を辞めてしまった畦地梅太郎は経済的困窮を極め、間もなく第二次世界大戦が勃発し更に生活は苦しくなり、家族の為に国家機関による対外宣伝の版画家として満州へ単身赴任しました。
この滞在は精神的にかなりの負担であったようで、そこで見た中国人に対して横暴な日本人達に失望していたなどの説もありますが、自身は多くを語らず大幅に予定を早めて帰国しています。
戦後も貧困に苦しみそれでも制作意欲は衰えず1952年頃から自身の自己主張として描いた『山男』が制作され、最も人気のシリーズとなりました。
日本も高度成長期を迎え展覧会なども頻繁に行われるようになり、名実ともに日本を代表する版画家となりましたが、知名度が上がるにつれて随筆や挿絵などの他の仕事が増え、版画に集中できなかったことも少なくありません。
1970年に版木を製作中に電気のこぎりで右親指を負傷、その後1年あまり制作から離れます。
1974年にはストーブのヤカンを倒し全身に火傷を負い、またしばらく制作から遠ざかりました。
翌年に版画制作を再開するも、すでに70歳を超え自ら山歩きができなくなったことから、モチーフは家族と過ごす男(山にいない山男)に変わります。
晩年は名誉会員・市民、受賞や常設美術館開設など功労が称えられ、1999年96歳で生涯を閉じました。
近年、再評価され現代の若者にも支持され急激に人気となっています。
畦地梅太郎が山に魅せられたのは、仕事の関係でひと夏 軽井沢に滞在していた時に見た浅間山です。
今まで見たことのないような煙を吹き出している浅間山に圧倒され、山は生きていることを実感しその魅力に取り憑かれました。
これ以降、一人での山歩きに膨大な時間を費やし、山から受けた感激を作品にします。
山へ行くと行って出かけたらそれっきり、いつ戻るかも不明で食料とお金が尽きたら帰ってくるというスタイルでした。
道端に天幕を張って目覚めたら村人に囲まれていたり、乞食遍路に間違われていたりなど、面白いハプニングを綴った随筆も評判で、山好きの読者が後から版画の存在に気づくこともあるようです。
『山の版画家』として評価が高まる一方で、実際の山より尾根が1つ足りない、岩の形が違う、などの批評も受けることがあり、風景というより感動を伝えたかった畦地梅太郎は苦悩します。
作風は細かな描写が減少しより抽象的で簡素化した表現へと変化し、自然を描くだけでは自分の心情を表現しきれないことから『山男』が誕生することとなりました。
自画像ではなく畦地梅太郎なりの抽象であり、感情を強調するための山男です。
山の版画そして山男と表現の幅を広げ、多くの素晴らしい作品を残しました。
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以前に比べて畦地梅太郎の評価が上がってきたので良い売り時かもしれません。
畦地梅太郎の木版画はサインとシリアル番号が入っており、査定の際に重要なポイントとなります。
畦地梅太郎が制作した版木を使用し現代に摺られた木版画もあり、こちらはサインとシリアル番号の記載なしですのでお買取り対象外です。
また、畦地梅太郎が師事した 平塚運一、前川千帆、恩地孝四郎の作品もお買取りしております。
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