日本画の新境地を開いた幻想的で不思議な作風で知られる工藤甲人が描いた『郡蝶図』です。
蝶は工藤甲人が特に好んで描いたモチーフであり、自らの心象の光景を自然を使って表現しています。
画家 | 工藤甲人 (くどう こうじん) |
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時代 | 1915~2011年(大正4年~平成23年) 享年95 |
本名 | 工藤 儀助(くどう ぎすけ) |
別号 | 工藤八甲 (くどう はっこう) |
工藤甲人は2015年(大正4年)に青森県弘前市に農業を営む家に生まれます。
小さい時はお手本通り描くことが得意ではなかったことから絵には苦手意識があったようで、詩人になりたいと思っていたそうです。
積極的なタイプではなく、一日中じっと自然を見つめていても飽きないような子供でした。
雪国で育ち、閉ざされた厳しい雪の後に春の兆しを見つけた時のワクワクや、肌で感じる春の訪れは、独自の感性に大きく影響したと言われています。
15歳の時に父親が亡くなり、高等小学校を卒業した16歳の頃に突然、詩人ではなく画家になりたいと思うようになりました。
家出をして東京で画家になりたいとは思っても度胸がなく、家業を手伝いながら悶々とした日々を過ごしますが19歳の時にチャンスが到来します。
りんごを買付に来ていた東京 秋葉原の青果問屋が小僧を欲しがっていて、工藤甲人は母親を説得し行くことになったのです。
ついに上京し小僧というブラックな仕事は想定内で、約3ヶ月後に逃亡します。
幸運なことに1日放浪した後、東京日日新聞(現在の毎日)店に住み込みで新聞配達することになり、働きながら川端画学校 日本画科に通い始めました。
この川端画学校で初めて絵筆を持つことができ、手ほどきを受け多くを学んだ他、かけがえのない画友・西村勇と出会います。
共同生活をして熱く画論を交わし、西洋の絵画やシュルレアリスムの魅力に共感させるなど工藤甲人に大きな影響を与えた西村勇は、残念ながら戦争で出征し戦死しました。
工藤甲人は1939年に画家デビューし日本画院第一回展 入賞、新美術人協会第二回展 推奨作品となりますが、自身も出征し絵画は終戦まで中断せざるをえなくなります。
戦後も思うように絵画を再開することができず故郷で生活に追われ、1949年に第2回 創造美術展に出品した作品は落選、時代はシュルレアリスムではなく油彩のようなマチエール(画肌、凸凹、光沢、質感)が主流になっていることを目の当たりにしました。
農作業の合間にマチエールを研究し再起を遂げ、翌年は入選、翌々年は新作家賞を受け、以後受賞を重ねます。
1988年に芸術選奨文部大臣賞、1989年 勲四等旭日小綬章、1992年には毎日芸術賞を受賞しました。
加えて作品『渇仰する麦たち』は大英博物館に収蔵されています。
工藤甲人はアトリエを『蝸牛居』(カタツムリの殻のように狭苦しい家)と名付けており、歩みは遅くとも確実に前進して退くことのないカタツムリと自分を重ねたそうです。
晩年も意欲的に制作に取り組んでいましたが、2011年96歳の誕生日の前日に、その生涯を閉じています。
工藤甲人は独特の天性の詩心を持ち合わせ、元々は詩人を目指していた程で、その詩心を絵の具で表現しました。
それまでの日本画にはなかった幻想的な世界を描き、その様子は長い冬を乗り越え息吹く春の生命のように、期待感や可能性を感じさせ輝いています。
画学校時代から7~8年、生活の為に友禅の下絵描きの仕事もしており、花、鳥、静物の形をとらえる線描はこの仕事で磨かれたそうです。
戦前の作風は木の根を主題として蝶や貝殻を組み合わせ、線描のはっきりしたシュルレアリスム的な作品でした。
戦後はシュルレアリスムが通用しない時代であることを痛感し、研究と試行錯誤を重ね、濃密なマチエールの作品で再出発を飾ります。
この頃は15世紀ネーデルランドの画家ヒエロニムス・ボッシュ、18世紀イギリスの詩人で画家のウィリアム・ブレイクに強く惹かれ、それは作品にも反映され、樹、鳥、枯葉などが現実を超えた姿で描かれました。
1962年 神奈川県の平塚市に引っ越しした頃からはまさに円熟期です。
色彩はより豊かに洗練され、枯葉と共に蝶が描かれるなど相対的な描写が増え、人物も象徴的な存在として登場するようになり、夢幻の世界と現実の世界のはざまを漂う独自の作風を極めました。
神奈川県が所有し、工藤甲人が制作した10号の日本画『作品』が全く別の作品にすり替わっていた事件が2002年に起こっています。
神奈川県の新庁舎の階段踊り場に展示されていた『作品』(木に止まる鳥の絵)でしたが、ある日職員が全く違う素人が描いた山の風景画と入れ替わっていることに気づいたそうです。
2017年にも神奈川県所有の棟方志功の版画がカラーコピーにすり替わっている事件があり、どちらの作品もまだ見つかっていません。
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