坂本繁二郎の作品買取ります
いわの美術では、近代洋画の巨匠と言われている坂本繁二郎の作品をお買取り致します。
坂本繁二郎は、福岡県出身で幼いころから絵を描く事が好きで、暇さえあれば絵を描いていました。
自分の家のふすま4枚に墨で絵を描き、真っ黒にしてしまった事もあるそうです。
坂本繁二郎は10歳で森三美が主催している画塾へ行き絵の技術を学びました。
高等小学校に上がる頃には絵の腕前は素晴らしく上がり、卓越した能力を発揮する人という意味で神童と言われていました。
坂本繁二郎の同級生で日本近代洋画家の青木繁も森三美の画塾へ入り絵の技術を学び、その後絵の勉強のため上京します。
坂本繁二郎も上京を考えますが、母が自分や兄のためにお金を切り詰めて生活してくれている状況が頭に浮かび上京を断念しました。
その後、久留米高等小学校の図画教師をしていた森三美は他校へ転任するにあたり、才能を見込んで坂本繁二郎を後任に推薦され、久留米高等小学校の代用教員として働きます。
1902年に上京していた青木繁が東京から戻り自分の描いた作品を坂本繁二郎に見せた所、絵の腕が上がっていた事に驚き初めて焦りを感じたと言います。
その後、母の了承を得て青木繁と共に上京し、小山正太郎の画塾に入り絵画を学びました。
1907年には北茂安村という作品で第一回分展に入選、1912年の分展にはうすれ日という作品を出品し、夏目漱石が高く評価したと言われています。
その後、二科会創立に参加、1921年にはフランスに渡りシャルル・ゲランに弟子入りし、フランスの自然や多くの作品に触れ、坂本繁二郎の作品の特徴でもある中間色の色彩を学びます。
1924年には故郷に戻り、亡くなるまで故郷の久留米で活動を続けたと言われています。
いわの美術では、とても家族想いな坂本繁二郎の作品を高価お買取り致します。
坂本繁二郎の作品買取りについて
坂本繁二郎は、同級生の青木繁が上京から戻り絵の腕を上げた事で人生で初めて焦りを感じます。
坂本繁二郎と青木繁は親友でもありましたが、同じ画家を目指すライバルでもあり、青木繁の活躍が坂本繁二郎の画家心を刺激しました。
坂本繁二郎は39歳でフランスへ渡った際に、フランスの自然や多くの作品に触れ中間色を学び、独自の色彩を作り作品に取り入れます。
その作品は、中間色からなる微妙な色彩のグラデーションを使い描かれ、控えめな色彩で対象を忠実に再現する技術はとても素晴らしく、見る人を優しく包み込み、どこか不思議な世界に連れて行ってくれるような絵画となっています。
坂本繁二郎は、風景画や人物画なども描きますが、その中でも馬の絵を多く描かれています。
馬の絵を描くキッカケとなったのは、農耕馬の躍動する美しさに感動し描き始めましたと言われています。
いわの美術では、幼い頃から絵を描き才能を発揮していた坂本繁二郎の作品を高価お買取り致します。
また、坂本繁二郎の親友で良きライバルでもあった青木繁の作品などもお買取り致します。
大きくて飾る所がない坂本繁二郎の作品などございましたら是非一度いわの美術までお問い合わせ下さい。