ジュゼッペ・カスティリオーネはイタリア出身の画家・宣教師です。
清時代前期の中国で宮廷画家として活躍し、中国名として郎世寧(ろうせいねい)を名乗りました。
西洋と中国それぞれの絵画が折衷された作品は、古今東西類を見ない独自のものとなり、乾隆帝の肖像をはじめ優れた絵画を多数残しています。
写真の作品は詩書画となっており、上部の詩は宋末から元にかけての詩人・宋无(そうむ)の
ものです。
宋无は南宋の都・臨安に近い地域で活躍し、元代も在野で活躍しました。
下部の絵のほうは、文人画に倣った中国的な風景となり、急峻な岩山と、山裾の川沿いの農夫に中国画の伝統が感じられます。
一方で草を食む馬達には特徴的な陰影がみられ、画面端の臣郎世寧の署名とともに、東西を折衷させたカスティリオーネの作であることが窺えます。
ジュゼッペ・カスティリオーネは1688年にイタリア・ミラノで生まれました。
16世紀後半から17世紀前半にイタリア絵画界で栄えていたボローニャ派絵画を学び、とくにアンドレア・ポッツォに私淑します。
アンドレア・ポッツォはイエズス会修道士でありミラノ・ジェノバ・ヴェネツィアで画家として活動した時期があり、晩年を招聘された異国で過ごし客死している点など、カスティリオーネと不思議な共通点があります。
カスティリオーネは芸術の中心であるイタリアで、最先端の絵画技術、古代ローマに由来する伝統の遠近法や劇的な感情表現を吸収しました。
1707年にジェノバでイエズス会士となり、中国で画家として働く用命をうけ1715年に1年を超す航海を経て中国へ渡ります。
イエズス会による中国へのキリスト教布教は明代から続き、マテオ・リッチやアダム・シャールにより地理・数学・天文学伝えられ、中国にとって貴重な西洋学術の伝道師でもありました。
カスティリオーネが北京に到達した頃も、フェル・ビーストが康熙帝への西洋学術教授や大砲鋳造で活躍しており、シモン・ブーヴェは清とルイ14世治下のフランスを往復し、名君同士の東西交流を実現していました。
一方でイエズス会による中国での布教が、中国習俗に合わせたものであったため、本来のキリスト教協議に反すると批判を受け、1704年ローマ教皇はイエズス会宣教師の布教活動を異端として禁止します。
かねてからイエズス会士を重用していた康熙帝はこれに激怒し、イエズス会士以外の宣教師を国外追放としました。
カスティリオーネが中国に到達した頃、宮廷に仕えるのはイエズス会のみとなっていました。
その後、次代の雍正帝によって1724年にキリスト教布教が全面的に禁止となります。
しかしカスティリオーネは画家としての技量を買われ宮廷に残り、中国絵画に西洋画法を伝え革新をもたらしながら、自身もまた中国画法を柔軟に吸収しました。
現存するカスティリオーネの作品で最古の物は、雍正元年(1722年)の「聚瑞図」で、西洋画法の陰影と図鑑のような写実、中国的なモチーフを見事に折衷させています。
清朝は北方の満州族が中国平原を統治した征服王朝という特性から、清朝の美意識には満州族・漢族の二大潮流が流れていました。
カスティリオーネはこれを巧みに汲み取り、「雍正皇帝行楽図」等では漢族的な文人画を踏襲し、一方では満州族の衣裳を身に付ける皇帝の肖像や種々の作品を制作しています。
雍正帝の誕生祝いに制作した「百駿図」は西洋的な遠近と写実表現に基づきながら、木々と水辺には山水画的な美意識が流れ、大作が評価され首席宮廷画家となります。
1735年に乾隆帝の治世となると、皇子時代から仕えていたカスティリオーネはとくに重用されます。
もっとも多作な時期に入り、代表作である乾隆帝朝服図、皇帝と妃嬪を描いた心写治平図巻
などを制作します。
清朝宮廷の肖像画では、皇帝の顔に影を描いてはいけない不文律があり、様式をまもり人相学も取り入れた上で、細密写実でありながら理想形を損なわず、美しい名作に完成させました。
乾隆帝は1744年に宮廷所蔵の書画を目録として纏めた「石渠宝笈(せっきょほうきゅう)」を完成させ、同様の印を所蔵書画やカスティリオーネの作品にも押印しています。
1747年に離宮である円明園の改修増築の際にはカスティリオーネも設計に加わり、バロックの建築様式をとりいれた見事な西洋庭園となりました。
1766年に亡くなるまで、晩年の郎世寧は乾隆帝のもと他の画家とも協力しながら作品制作を続けました。
とくに後年の作では宮廷の絵画工房に属する他の画家、中国人の唐岱(とうたい)などとの合作がみられ、その他にも工房に属する職人が作業に参加したと考えられるものも残されています。
乾隆帝の没後、19世紀半ばから清朝は混乱と衰退の道を辿り、20世紀も度重なる政変に見舞われました。
その間、郎世寧の作品のうち、大作は故宮博物院などに主要文化施設に収容されましたが、小品などの流出は多く、日本に流れてきた作品も多数ありました。
また贋作の問題もあり、偽物とはいえ100年余り経過しているような古色をおびた品物の場合、見極めには相応の経験が必要となります。
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