北大路魯山人の日本画作品をお買取りいたします。【買取・新着情報】

北大路魯山人の日本画作品をお買取りいたします。
2018.5.16

北大路魯山人の日本画作品をお買取りいたします。

 


写真のお品物は、北大路魯山人の日本画「木の葉」です。

陶芸家・美食家として名を知られる北大路魯山人は、初め書で出世し、篆刻、美食、陶芸、漆芸、日本画と多岐に渡って才能を発揮した稀代の芸術家でした。



北大路魯山人について

北大路魯山人は、名声で知られる裏で不遇の幼少期を送り、京都市北区の上賀茂で社家の次男として生まれますが、生後まもなく父の死と母の失踪により養子にだされました。

それ以降も養父母と再び死別し、養子先での義姉の母からの虐待など経験した北大路魯山人は、家を転々とした末に1889年に養子となった木版師の福田家の姓を33歳まで名乗っていました。

福田家では6歳の頃から炊事役を買って出て、ここで料理の基本と味覚を学んだことが、後の人生でいきることとなります。

10歳で梅屋尋常小学校を卒業すると薬屋に丁稚奉公へ出され、ここでの仕事中に通りがかった仕出し料理屋の行灯に描かれた竹内栖鳳の一筆描きの亀の絵と字に魅入られます。

1896年に奉公を辞めると養父母に画学校進学を頼みますが経済的な理由から断念せざるを得ず、しかし養父の木版の手伝いを始め、のちの篆刻へ通じる技術を体得していきます。

その一方で書道の公募展に応募すると多数の受賞をし、続々と受賞賞金を稼ぐと絵筆を買い我流で絵を描き始め、西洋看板描きの仕事も請け負うようになりました。


20歳となった1903年に、生後まもなく失踪した実母の居所が判り東京へ訪ねるものの面会できず、そのまま東京に残り書家を志した翌年、日本美術協会主催の美術展覧会に出品した千字文が褒状一等二席を受賞する快挙となり、早速軌道に乗ります。

1905年に町書家の岡本可亭(岡本太郎の祖父)の内弟子となり、福田可逸(かいつ)の号を授かると師よりも受注量をのばし、福田鴨亭(おうてい)に号を改めて1907年に独立しました。

仕事は順調で小道具・骨董品・外食に収入をつぎ込み、実母との関係が好転すると1910年には共に朝鮮を旅し、その後朝鮮総督府の書記官を勤め、上海にも渡り清代最後の文人と名高い呉昌碩と会ったのち帰国します。



1912年に帰国すると書道教室を開き、その後長浜の素封家である河路豊吉に食客として招かれ、書と篆刻の制作に打ち込む環境を得、この地では福田大観の号を名乗って天井画や襖絵などの傑作を残します。

近江商人の地である長浜には富裕な家が多く、離れをサロンのようにしつらえ、魯山人はそのための扁額などの制作依頼を多数受けました。

さらに交流のあった柴田家に、魯山人が画家を志すにいたった敬愛する竹内栖鳳が食客として滞在することとなり転機が訪れます。

竹内栖鳳に款印の制作を申し出るとこれを気に入られ、門下の土田麦僊らに紹介されたことで日本画壇の巨匠らと親交をもつに至り、魯山人が芸術家として名声を高めていく端緒となりました。

1915年に北大路家の長男が他界したことによって家督を相続することとなり、福田姓から北大路姓に変え北大路魯山人の号を使いはじめました。

魯山人の由来として、崇敬する中国東晋時代の書生・顔真卿の諡が魯公であることと、魯の字のもつ愚・鈍の意、俗世と断絶して隠棲する人をさす山人を合わせたと伝えられています。

長浜の河路家を後にしてからも京都や金沢を食客として転々としながら、食器と美食、料理に関する見識を深め、のちの活躍の基盤を固める時期となります。


1917年に中村竹四郎と意気投合して古美術店の大雅堂の共同経営を始めると、古美術品の陶器に高級食材を用いた料理を美しく盛り付け常連客に振る舞った事が好評となり、1921年に会員制食堂の「美食倶楽部」を発足します。

1925年に東京永田町に会員制高級料亭「星丘茶寮」を開業し美食活動をさらに発展させ、魯山人みずから厨房に立ち、また食器の創作のため1927年に鎌倉で星岡窯を開きます。

会員には各界の名士が名を連ね、料理と食器から従業員の制服にまで魯山人の美意識が行き届き、日本一の料亭とまで評されましたが、妥協を許さない魯山人のやり方は経営に大きく響き、1936年に星丘茶寮を退くこととなりました。

その後は星岡窯敷地内の家屋を終の棲家とし、作陶に集中します。

第二次大戦終結後の1946年、銀座に自作陶器の直売店となる火土火土美房を開き、在日欧米人からも好評を博しました。

晩年の魯山人は星岡窯にこもり、様々な種類の作陶を経てから備前焼や信楽焼に傾倒し自邸に備前の古窯を移築するほどとなります。

イサム・ノグチと山口淑子夫妻を一時滞在させたり、1954年にロックフェラー財団聘招により欧米各地で展覧会と講演会を行いながら、パブロ・ピカソとマルク・シャガールを訪問するなど、孤独に暮らしながらも美術家同士の交流を大切にしました。

他に類を見ない多分野での活躍から、二度も国から重要無形文化財(人間国宝)に推されるものの辞退し、生涯を通じて書画でも作陶でもいずれの団体にも属さず個を貫き、1959年に76歳で逝去しました。



北大路魯山人の作品をお買取りいたします。

北大路魯山人の作品は、鉢や茶碗や絵皿などの食器にはじまり、大壺や花入などの陶器作品が主に流通していますが、多才であった魯山人は日本画の佳作も多数残しており、中古市場でもお取引がみられます。

魯山人は料理を美と味の調和を楽しむものとし、それには料理と器にはじまり、部屋や庭のしつらい、家具、掛軸、置物など料理を楽しむすべての環境を含んだ総合芸術と捉え、日本画も陶器もその一環で制作されました。

写真のお品物はたらし込みのにじみに青葉がみずみずしく映える逸品で、余白部分に若干のシミが見られたことが少々マイナスとなりましたが、絵の内容の良さと状態、額装やタトウ箱などが揃い高評価でのお買取りとなりました。


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