笹戸千津子の彫刻作品をお買取りいたします。
写真のお品物は、以前いわの美術でお買取りいたしました、笹戸千津子のブロンズ彫刻作品です。
女性像を中心とした作品を数多く発表し、佐藤忠良の一番弟子として佐藤イズムを色濃く継承する秀作を作り続けながら、自身も師の彫刻モデルを努めました。
笹戸千津子と作品について
笹戸千津子の作品は、鋭い洞察力や自らも師の彫刻モデルも努めていた経験もあり、少女から大人まで幅広い年代の女性像を得意としています。
愛らしさや柔らかさを内包しながら、堂々としたポーズに芯の強さが感じられる作品で、人物のもつ形態の美しさと人間の精神性を力強く伝え鑑賞者を魅了しています。
笹戸千津子(ささど ちづこ)は1948年に建築家の笹戸正一の長女として山口県で生まれます。
当初は家業を継ぐ前提で大学の建築科への進学を考えるものの、美術への夢を捨てきれずのちに師となる佐藤忠良が創設に携わった東京造形大学の一期生として二次募集で入学しました。
美術大学受験のためのデッサンなどをせず受験した笹戸は、はじめインテリアデザイン科の補欠でしたが、彫刻科の人員に空きがあったことと適性を鑑み、学校からの助言で彫刻科へ転入します。
彫刻科教授の佐藤忠良の授業は厳しく、基本の習得のため徹底した修錬が求められましたが、のちに佐藤忠良が著書で語るように笹戸千津子は休みなく毎日誰より熱心に制作にあたりました。
1970年に東京造形大学美術学科彫刻専攻を卒業し、同大彫刻研究室を修了すると、佐藤忠良のアトリエに出入りし、助手として仕事場の清掃や粘土の準備を欠かさず続けながら、時にはモデルを努め、一番弟子として制作活動を続ける彫刻漬けの生活が続きます。
彫刻制作への厳しい信念を持つ師に鍛えられ、1974年に第38回新制作展へ出品すると新作家賞を受賞し早くから注目の作家となりました。
以降第9回現代美術選抜展や現代彫刻センターの新人展へ続けて出品し、毎年出品した新制作展では弱冠29歳にして同会員に推挙され、1978年いわき市すまいギャラリーで初めての個展を開催します。
1975年頃から高度経済成長を終え経済水準の上がった日本では、今度は文化水準の向上を求める流れが起き、地域の歴史上人物像以外の美術彫刻作品を街中や公共施設などの屋外に設置するパブリックアートが普及していきます。
1980年代に入ると師・佐藤忠良と並んで笹戸千津子の作品も屋外に多数設置され、何気なく目にしたことのある方も多くいらっしゃるでしょう。
第1回6彫展から10年連続出品し、1982年には現代女流美術展に出品するなど活躍の場を広げ、1983年には東京の現代彫刻センターで開催した個展から発展して初の全国巡回展開催となりました。
1987年に第18回中原悌二朗賞・優秀賞を受賞し、1988年には現代彫刻・1980年代の作家たち展に出品し、同年師である佐藤忠良をモデルとして「彫刻家」を制作します。
現代具象彫刻の奔流展や、真髄を求めて・彫刻4人展、現代彫刻4人展など積極的に展示に出品し、1992年は自ら3人展を開催し、翌年は創造する女性たち・現代彫刻の5人展に出品するなど彫刻界の重鎮として活躍します。
1997年のブロンズの華・笹戸千津子展は2年をかけて徳山市美術博物館を皮切りに全国5会場を巡回し、別館となる「ブロンズの詩 佐藤忠良館」を開館した佐川美術館において1999年に佐藤忠良・笹戸千津子の足跡展を開催し、ひとつの節目を迎え集大成となりました。
21世紀に入ってからも各地での個展開催と、変わらぬスタイルで作品制作を続けています。
笹戸千津子のブロンズ彫刻作品をお買取りいたします。
笹戸千津子の作品は屋外設置の大型作品のほか、屋内・ギャラリーのために作られたものがありますが、後者が中古美術市場に現れることは少なく、大変希少なお品といえます。
写真のお品物も、凛とした立像に上衣の自然な流れと視線をそらしたポーズで緊張の解けた程よい柔らかさが美しく、高評価でのお買取りとなりました。
ご自宅やご実家のお片付け、蔵や倉庫の整理などに伴って、ご売却をお考えの笹戸千津子の彫刻作品がおありでしたら、ぜひいわの美術へご一報くださいませ。
お買取り実績豊富な専門の査定員が拝見し、市場を鑑みた最高値をご提示できるよう尽力いたします。
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