唐寅の仕女図掛軸をお買取りいたします。
写真のお品物は、唐寅(とういん)の仕女図「玉珏仕女图」工芸画掛軸です。唐寅は明代に活躍した文人画家で巧みな書画の才を持ち、山水画から人物画・花鳥画まで幅広く手掛けました。
祝允明・文徴明・徐禎卿と並び呉中の四才と呼ばれています。仕女図は中国美人画の一種で、隋唐時代には宮廷につかえる女性の風俗画であり、明代に復興すると上層階級女性の風俗画に転じ美人画との境界があいまいなまま清代に受け継がれました。
唐寅の「玉珏仕女图」も柳腰の華奢な体系に色白で花筋の通った瓜実顔、細く弓型の眉という中国の伝統的な美意識が感じられる作品です。
唐寅について
明代の文人文化の中心地であった中国の江南地域、太湖に隣接した蘇州呉県にて、唐寅は1470年に生まれました。生家は商家でしたが幼いころから利発であったため教育の機会に恵まれ、絵は沈周と周臣に学びました。
早熟だったため10歳年上の祝允明とも早くから書画について交流を持ち、二人は自由奔放な性格でも意気投合しますが、青年になると勉学への激励も受けます。反対に真面目で質素な性格であった文徴明とも生涯に渡る友人関係でした。
16歳で蘇州府学の入学試験である童試に首席合格し、1498年には南京での郷試に第一位の解元で合格します。
しかし続く北京での会試で問題漏洩事件に連座し試験資格を剥奪される憂き目に遭い、高級官僚への道を断念することになりました。
放浪ののち故郷に戻り奔放な生活を送りながら、裕福な時代も手伝って書画を売って生計を立てました。
36歳頃には「桃花庵」という庵を結び桃花庵主と号して、著名な文人画家と親交をもちながら詩文書画の創作に耽る風流三昧な生活を送ります。
しかし親族の死や南昌寧王の反乱の共謀の嫌疑をかけられるなど不幸が続き、悲嘆のなか人生の無常や有為転変を感じ仏門に入ります。
晩年は仏教経典から「六如居士」と号し、病に伏し1523年に死去しました。
放逸ともいえる生き方をしながらも、書画に関しては能く研究を重ね、宋代の李成の院体画や元代の趙子昴の書など名書画家から幅広く吸収・昇華し唐寅独自の画風を築いています。
朶雲軒について
写真のお品物は中国の美術品店老舗、朶雲軒にて販売された工芸画で、水印という顔料を水で溶き油性のものを使わない伝統的な木版印刷技法で製作された、質の高いものです。
朶雲軒は1900年に上海南京路にて扇子専門店として創立し、文房用品、経理用書類用紙に始まり、のちに骨董品、各時代書画、書画装丁など幅広く確かな来歴の品物のみを取り扱う名店となりました。
1992年には中国国内初のオークション会社を設立し、芸術品仲介、芸術品展覧会、美術作品の出版など幅広く中国の芸術界と芸術市場に関わり、朶雲軒での美術品の売値は中国経済の風向評ともなっています。
朶雲軒による木版画の掛軸は、上巻絹の外題(掛軸裏面の巻いた際に背表紙のように表に出る部分)に、「朵云轩」 の印が捺されています。
朶雲軒製の掛軸をお持ちでしたら、真贋の決め手となりますので、木版画の画面と同様に押印部分に配慮されることをお勧めいたします。
唐寅の仕女図掛軸をお買取りいたします。
ご自宅やご実家、蔵や倉庫のお片付けや遺品整理でご売却をお考えの唐寅など中国工芸掛軸がございましたら、ぜひ、いわの美術にお任せくださいませ。
いわの美術では骨董品・古美術品を中心に幅広くお買取りしております。専門の査定員が拝見し、市場を鑑み可能な限り高値にてお買取りいたします。
お買取り査定のお申し込みはお電話・メール・LINEにて受付しており、お写真を添付いただきますとオンライン無料査定も可能となります。混雑時には順次ご案内となりますので予めご了承のほどお願いいたします。お客様からのご連絡をお待ちしております。