中国の二十四史という歴史書の「第一」で、
黄帝の時代から武帝の時代まで記されています。
著者の「司馬遷」は紀元前一世紀末に活躍した歴史家で
古代から歴史を司る家に生まれました。
父である司馬談が史記を書き始めの段階で死去してしまい、
遺言により司馬遷が史記の執筆を受け継ぎました。
執筆の最中に友人である「李陵」が戦場で敵に降服した事に対して
武帝が奮起し、李陵の家族を皆殺しせよと家臣に命じましたが
司馬遷は武帝に逆らい、死刑に継ぐ酷刑とされている
「宮刑」に処されて3年間投獄されてしまいました。
獄中でも史記の執筆を続け、大赦令により釈放されると
「中書令」という、宮廷の秘書長となりました。
その後も官職と執筆を両立させ、紀元前91年頃に史記が完成しました。
司馬遷の娘が史記を継承しましたが
武帝の逆鱗に触れるような記述があった為に秘蔵され、
宣帝の代になり司馬遷の孫「楊惲」が世に広めました。
日本でも古くから読まれ、
聖徳太子の十七条の憲法の典拠のひとつとして挙げられています。