安政6年に横浜港の開港に備えて発行された二朱銀で、小判の海外流出を防ぐために貿易取引専用として造られました。
貿易二朱とも呼ばれ、大きさの割に安政二朱銀よりも小さい一分銀の半分の額面だったことと、本来の発行目的を果たすことが出来なかったため、バカ二朱(ばかにしゅ)とも呼ばれていました。
また、日本国内で使用するには、ドル銀貨の通用価値を1/3に引下げる一分銀に両替をしないと使用できない仕組みに外国人大使たちは「条約違反である」と抗議し、この二朱銀は発行から22日間という短い期間で使用中止となりました。
コレクターの間では書体の組み合わせによって評価額に違いがあり、高いものだと5万円前後の評価額がついています。