江戸幕末期に蝦夷松前限り通用という条件で造られた地方貨幣です。
円形で丸い穴があり、現在の5円玉、50円玉のような形をしており、江戸時代の銭貨としては異例の形状のものでした。
文政4年(1821年)幕府直轄領から松前藩領に復帰した際に鉄銭の使用が禁止され、それまでアイヌとの交易において使用れていた寛永通宝鉄銭が使用できなくなり、物々交換となりました。
しかし、不正が行われるようになりアイヌ側から銭貨の使用を求められるようになり、箱館港が開港される事になり、再び幕府直轄領となりました。
次第に人口が増加し、商業が盛んになってくると小額貨幣が不足してきた事から、蝦夷地のみで通用する事が許可された箱館通宝が造られるようになりました。
しかし、天保通宝や文久永宝などの銅銭が流入してくるようになると、鉄でできた箱館通宝は次第に使われなくなっていきました。