元禄8年に一般通用の慶長小判につぐ小判として発行されました。
元禄一分判および元禄二朱判を総称して元禄金(げんろくきん)または元字金(げんじきん)と呼ばれています。
明暦の大火で江戸の6割と江戸城を失い、江戸の街を再建するための日洋を捻出するために、小判の改鋳を行う事にしました。
これまでの小判より金の含有量が少なくなった元禄小判を発行して、古い小判を回収して、その差額で財政を潤わせようとしていました。
当初は交換比率が悪かったため、受け入れられず回収が進みませんでしたが、交換比率を高くしたところ、見事に成功しました。
かなり流通していた事から美品で現存するものが少ないといわれており、コレクターの間では100万~200万前後の評価額がついています。