最後の大判となった万延大判は,安政6年(1859)の開港以後,日本の金銀比価が外国にくらべて,金の価値が極端に低く評価されていたので,金銀比価の調整を目的として鋳造された。
万延元年に発行された日本最後の大判で、通貨としての目的もあり、新大判とも呼ばれています。
日本の金の価値が極端に低く評価あれていたので、その価値を調整するために発行されたともいわれています。
表面は「拾両後藤(花押)」と墨書され、後藤四郎兵衛家17代典乗によって書かれています。
上下左右に丸枠桐極印がそれぞれ1箇所、計4箇所打たれており、角ばった楕円形をしています。
ござ目に「たがね打」と「のし目打」の2種類があり、残存数は圧倒的に「のし目打」の方が多いようです。
コレクターの間では100万円以上の評価額がついています。