天保8年に発行された5両の額面を持った小型の金貨です。
発行されたのは天保年間のみで、中判や五両判とも呼ばれています。
後藤四郎兵衛家15代真乗が、銀貨本位で商品取引をする銀遣いの中心である上方(かみがた)でも大金を扱う事が多く、必要であると考えました。
そこで幕府に申し出て造られる事になりましたが、金座御金改役の後藤三右衛門光亨の権力が強く「一般の通貨」という事で、金座に鋳造の権利を奪われてしまいました。
この金貨には5両分の価値は無く、実際には4両2分しかなかった為、両替商や商人に見抜かれ評判は悪く、ほとんど流通しませんでした。
短期間での少数発行であった為、現存するものは少ないが状態が良いものが多く、コレクターの間でも100万円前後の評価額がついています。