フランス生まれのイギリス人画家です。
フランスの市民権を申請するが却下され、2度目の申請をするがこれも病気を理由に却下されています。
印象派の中の印象派と称されており、多くの印象派の画家は時が経つにつれて印象派の画法を離れた中で、シスレーは一貫して印象派の画法を保ち続けていました。
父親は絹を扱う貿易商で裕福な家庭で生まれ、18歳の時にビジネスを学ぶためロンドンへ渡ります。
しかし、画家になる事を希望し、パリに戻ってからマルク=シャルル=ガブリエル・グレールのアトリエで学び、フレデリック・バジール、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールらと出会います。
シスレーの画風は初期の頃はロンドンでビジネスを学んでいた頃に見たターナーやコンスタブルらのイギリスの風景画に影響を受けていましたが、モネやルノワールと出会ってからは印象派の画家たちと同じように戸外制作を行っています。
その作品はサロンに出品して入選を果たしても、高く評価される事はありませんでした。
そのため、自分の力で生計を立てる事はできず、父親の援助によって経済的には他の画家よりも恵まれた立場にあり、絵を描く事に集中できました。
しかし、普仏戦争勃発に伴い父親が破産したため、自分の作品を売って生計を立てなければならなくなりますが、穏健で控えめな性格ゆえ積極的な売り込みは行えず、亡くなるまで経済的困窮は解消されませんでした。
そんなシスレーの作品は精力的に活動を続けていたため、900点近い油彩画が残されています。
そのうちの大部分がパリ周辺の風景を題材にした穏やかな風景画で、人物、室内、生物といった他の題材の作品は全てを合わせても20点にも満たないそうです。