高知県出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
本名は忠通といいます。
県立城北中学校(現・小津高校)在学中に絵画の勉強を始めますが中退し、川端画学校に入所し本格的に絵を学びます。
独立美術研究所にて前田寛治、里見勝蔵の指導を受けて独立美術協会展へ出品を続け、「室内裸婦」でD賞を受賞しました。
その後、福岡へ移り絵画研究所を設立し、回展などに出品し活躍しました。
抽象画で有名ですが、それ以外にフォ-ビズム風、キュビズム風、セザンヌ的具象画などにも良い作品を残しています。
画家としてこれからという時に数年前から患っていた肺結核が悪化し、39歳という若さでこの世を去りました。