神奈川県横浜市出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家で、花売りなどの女性像、踊り子や少女の群像、満州の風景を多く残している事で知られています。
アメリカ・ニューヨークに定住し、日本の伝統美に基づく具象、抽象の様式を超えた日本的感性をたたえた優雅な色感を持つ作品がアメリカで高く評価されています。
岡田謙三が画家になろうと思ったきっかけは19歳の時に牧師さんからジャン・フランソワ・ミレーの話を聞いた時に涙をこぼし、ただ漠然と「絵描きになるんだ」と思った事だと本人が語っています。
東京美術学校在学中に海外に留学する最初の画学生として高野三三男と共にフランスへ渡り、研究所グラン・ショミエールに通ってデッサンの勉強する一方で、公園やカフェのテラスで新聞をかぶって寝るという生活を送っていました。
また、藤田嗣治のアトリエを来訪してはただその仕事ぶりを傍観していただけだったので、藤田嗣治から来訪拒否をされてしまったエピソードも残されています。
帰国後は二科展に出品を重ね、二科会会員として活躍しますが、活動拠点をアメリカ・ニューヨークへ移すと二科会を退会し、ニューヨークで個展を開催し、たちまち人気を得ました。
また、ピッツバーグのカーネギー国際美術展やベネチア・ビエンナーレ展で受賞を重ねるなど、アメリカでも高い評価を受ける事となった岡田謙三は、フォード財団が選出する全米の優秀芸術家の一人に選ばれるまでになります。
岡田謙三の作品は「幽玄主義(ユーゲニズム)」と呼ばれ、日本とアメリカ両国で活躍を見せました。