新潟県出身の日本画家で、眼科医・岩田屯の長男として生まれました。
帝展、日展を中心に活躍した日本画家で歴史画を得意とし、挿画も手がけており、三条市で初めての名誉市民に選ばれた事でも知られています。
東京美術学校を卒業すると同校の研究科へ進み、大和絵の住吉派の流れを汲む日本画家・松岡映丘に師事し、本格的に大和絵を追求していきました。
そんな中、松岡映丘と共に新興大和絵会を発足し、帝展などで活躍しています。
この新興大和絵会は小規模な画家の集まりで10年という短い活動期間でしたが、その後広がりを見せていき、松岡映丘が亡くなった後も新興大和絵運動として拡散していきました。
岩田正巳の初期の頃は大和絵の代名詞ともいえる歴史風俗や人物画を制作していましたが、後年は大和絵の表現を含ませながらも独自にインドや中国に外遊し、石仏シリーズや陶俑シリーズ、更にはインド地方の女性像などを描き、エキゾチックな画風へと変貌を遂げ、「石仏」で第17回日本芸術院賞を受賞しました。
また、戦後は日展にほぼ毎年出品を続けており、70年以上にも及ぶ画家生活の中で素晴らしい作品を多く残しています。