京都府出身の日本画家で、生涯一貫して風景画にこだわり、初期の頃は叙情的な作品が多く、中晩年ではヨーロッパへ遊学した影響もあり、洋画的な作品を展開しています。
スケッチにも味わい深いものがあり、中には完成品といっても過言ではない素晴らしいものも残されています。
また、指導者としても京都市立美術大学、嵯峨美術短期大学の教授をつとめるなどして後進の指導にも尽力しており、その背景には画家を志す事に反対した家族と「指導者としてふさわしい技量を身につけ、そういった立場になって絵描きを続けるなら」と約束をしたからでした。
幼い頃から手製の画板を持って野山を駆け巡っていた奥村厚一は画家になる事に憧れていました。
しかし、画家という職業は生活の保障もないため、家族は猛反対していたそうです。
条件付きで自分の夢をかなえるために京都市立絵画専門学校に入学し、卒業後は西村五雲の画塾に入塾して画技を磨き、帝展に初入選を果たします。
そこからは数々の受賞を重ね、やがて福田豊四郎、山本丘人、秋野不矩、上村松篁らと創造美術(現・創画会)を結成し、帝展から離れ活躍するようになります。
とにかく自然を愛し、よく観察して描かれた作品は、現在でも高い人気を誇っており、版画作品も多数制作されています。