東京都出身の日本の画家で、版画と洋画を手掛けていた事で知られています。
日本画家・石井鼎湖の長男として生まれ、本名は満吉といいます。
弟は彫刻家の石井鶴三という芸術一家でもあります。
はじめは父に日本画を習い、10歳の時、日本美術協会に出品した「八郎弓勢之図」が彼の画業の出発点となり、この頃から「柏亭」の号を使い始めていました。
12歳で描いた「長年尽忠図」は宮内庁買い上げとなっており、石井柏亭の早熟ぶりが分かります。
父が勤めていた大蔵省印刷局に見習生として入ると、そこで出会った先輩の石川欽一郎が描く水彩画に興味を持ち、独学で水彩画を描くようになり熱中します。
その後、父の友人である浅井忠に入門する事になり、本格的な絵画修業を始めると、水彩画の名手であった浅井忠から受けた影響は石井柏亭にとって計り知れないものがあり、後に浅井忠に関する著作を書くほどでした。
また、東京美術学校の浅井教室の助教授であった小坂象堂の自然主義的日本画の影響を受けて、「新日本画」の制作にも励み、小坂象堂の影響下にあった結城素明や平福百穂らの創立した「无声会」にも参加し、活躍を見せています。
また、「新日本画」で得た資金でヨーロッパへ遊学し、各国を巡り、堅実な自然主義をリズミカルな線で独自の作風を確立し、画家としての地位を確立させました。
柔らかい筆致と温和な色彩を用いた風景画を展開し、近代洋画壇を代表する画家の一人として有名ですが、絵画のみならず詩文、版画など多方面で活躍しています。
また、文化学院や東京帝国大学などで教鞭をとる一方、恩師への敬愛の念を込めた評伝「浅井忠」をはじめとする多くの美術史書や美術教育書を出版しています。