福岡県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の洋画家です。
少女や女性を官能と哀愁に満ちた幻想的な独自のスタイルで描き、都会的な哀愁漂う作風が特徴です。
また、長男の織田広比古も洋画家として活躍しています。
幼い頃から絵に興味を持っており、ゴッホの「ひまわり」を見た事で画家になる事を志します。
碓井尋常高等小学校高等科を卒業すると病気で働けない父親のために代わりに働き、その時に陶器の絵付けやちょうちん屋の図案を描く仕事に携わっていました。
この他にもお菓子屋や郵便局員などをつとめており、後に様々な職業を経験します。
こうして15歳の時に村祭りが行われた際、自宅の玄関先に水彩画、鉛筆画などを並べ個展を開いており、画家になるべく仕事をしながらも修練に励んでいた事が分かります。
日本美術学校に入学すると本格的に絵の勉強に励み、卒業後は電機会社で働くなど様々な仕事をしながら画業を続け、二科会を中心として活躍するようになります。
渡仏を経験してからは更に画技に磨きがかかり、岡田謙三からは二科展で大作を出品する事を学ぶと次々に大作を発表するようになり、大作主義の画家として認識されるようになりました。
一方で、その制作を支え続けたのは妻・リラで、リラも画家として活躍していましたが、くも膜下出血で倒れ、亡くなるまでの15年間、織田広喜は妻・リラのベッドの側で介護を続けながら絵を描き続けるほどの愛妻家でもありました。