アメリカ・ペンシルベニア州 ピッツバーグ出身のアメリカの画家、版画家、芸術家です。
大量生産・大量消費をテーマとして表現するポップアートの先駆者で、銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロヂュースや映画制作を手掛けた事で有名です。
本名はアンドリュー・ウォーホラといいます。
父親は、アンディが14歳の時に亡くなっており、その後は母親一人で育てられました。
アルバイトをしながら地元の高校に通い、カーネギー工科大学へ進み、広告芸術を学びました。
大学を卒業してからはニューヨークに移り、「ヴォーグ」「ハーパース・バザー」などの雑誌の広告やイラストを手掛け、新聞広告美術部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞して商業デザイナー・イラストレーターとして成功しました。
しかし、依頼主の要望に応え、イラストの修正に追われ、忙しい日々が続き私生活が荒れていくのに悩み、イラストレーターとしての仕事を辞める事にしました。
画家としての第一歩としてファイン・アートの世界へ進みアメリカン・コミック(漫画)をモチーフに作品を制作するようになりましたが、同様のモチーフで一世風靡したロイ・リキテンスタイのポップイラストレーション作品に出会ってからはポップアートの世界へ進みました。
手始めにキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品をシルクスクリーンを用いて作品の大量生産をするようになりました。
マリリン・モンローの突然の死にあたってモンロー映画のワンシーンから肖像を切り出し、これを色違いにして大量生産をし続けました。
他にもジェット機事故、災害、参事など新聞を騒がせる報道写真も使用しています。
ニューヨークにファクトリーと呼ばれるスタジオを設立し、アートワーカー(芸術労働者)を雇い、シルクスクリーン、靴、映画などを制作しました。
このファクトリーにはミック・ジャガー、ルー・リードなどのロックアーティストや作家のトルーマン・カポーティ、モデルのイディー・セジウィックなど各界のアーティストが集まりました。
特にルー・リードのヴェルヴェット・アンダーグラウンドとは親交が深く、女優でモデルのニコをメンバーと引き合わせ加入させプロデュースやCDジャケットのデザインを手がけました。
晩年は世界各国で個展を開催し、ポートレイトのシルクスクリーンを制作しており、毛沢東やレーニンも彼に依頼しています。
日本ではTDKのビデオカセットテープのCMに出演しており、たどたどしい日本語を話す姿が、視聴者に衝撃を与えました。
ピッツバーグのノース・ショア地区にはアンディ・ウォーホル美術館があり、一人の芸術家に特化した美術館としてはアメリカ最大規模のものになっています。
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