ドイツのルネサンス期に活躍した画家で版画家や数学者としての顔を持っており、ドイツ美術史上最大の画家として現在でも語り継がれています。
父親はアルブレヒト・デューラーと同名でハンガリーからニュルンベルクに移住してきた金銀細工師でした。
父親から金細工と描写の基礎を学び、その後、ウォルゲムートに師事し、国際ゴシック様式の絵画や版画を学んでいます。
イタリアのヴェネツィアに留学する機会があり、そこでイタリアのルネサンスに触れ、作品の質はもちろん、芸術家の地位の高さを目の当たりにします。
当時のドイツでは芸術家は職人として扱われており、デューラーはドイツの芸術家たちもイタリアの芸術家のように地位を高める事に尽力しようと心に決めました。
こうしてデューラーは皇帝マクシミリアンの宮廷画家となり、ドイツ国内はもとより諸外国までその名声を得る事となります。
ここまで名声を得る事ができたのは並外れた精密で高い表現力や技術力もありますが、木版画、銅版画、そして遠近法などの絵画技法の研究者としてドイツの美術界に大きな影響を与えた事が一番の要因として挙げる事ができます。
また、版画を一つのジャンルとして確立し、数多くの作品を残し、アルブレヒト・デューラーの「A」と「D」を組み合わせた史上初のモノグラム(文字を組み合わせたサインやマーク)を使用した事も高く評価されています。