フランスの印象派の画家として有名で、フルネームをイレール・ジェルマン・エドガー・ド・ガといいます。
「ドガ」という貴族風の苗字を持っていますが、ドガ家はフランス革命後に勢力を伸ばした新興ブルジョワで、エドガー・ドガの生まれた頃はそこまで裕福な家庭環境ではありませんでした。
父親は銀行家という事もあり、幼い頃からクラシックオーケストラやバレエといった芸術に慣れ親しみ、絵画に興味を持っていました。
はじめは法律を学ぶ学校に通っていましたが、画家になりたいと思うようになり、エコール・デ・ボザールに通うようになります。
しかし、アカデミーの授業は退屈で、ほとんど授業に参加していませんでしたが、優れたデッサン力を持っていたためその能力を伸ばすためにひたすらデッサンを重ねました。
その後、イタリアへ渡るとルネサンス芸術を学び、印象派を代表するマネと知り合い、お互いに影響を与える存在となります。
しかし、ドガの作風は光と影の変化をキャンバスに写し取ろうとした典型的な印象派の画家たちとは違い、ルネサンス芸術の古典的手法で現代の都会生活を描き出した作品が増えていきました。
ドガの作品に室内が多いのは、網膜の病気を患っており、外出をあまりしなかった事が原因の一つとして考えられていますが、日常生活の何気ない一瞬を切り取り、描き出す事がドガにとって一番の喜びだったともいわれています。
特にバレエの踊り子を題材にした作品が多く、楽屋の風景や舞台裏など一般の人が容易に立ち入る事ができない場所の風景を描き出しており、これはドガがオペラ座の一般会員だった事で可能にしたものでした。
ドガが油彩画、パステル画、版画など数多くの作品を残しているのは、父親が内緒にしていた借金の返済をしなくてはならないという理由があり、家や財産なども売却しています。
晩年には目がほとんど見えなくなった事から油彩画の制作はほとんど行っておらず、パステル画や彫刻作品などが多く見られます。